2025年06月07日
アメリカッチ コウノトリと幸せな食卓 原題:AMERIKATSI
監督・脚本:マイケル・グールジャン
撮影:ガセム・エブラヒミアン
編集:マイケル・グールジャン、マイク・セレモン
美術:ネルセス・セドラキアン、アベット・トノヤンツ
衣装:マロ・パリアン
音楽:アンドラニク・バーバリヤン
出演:マイケル・グールジャン、ホヴィク・ケウチケリアン
1948年、ソ連統治下のアルメニア
無実の罪で収監されたアメリカ人
彼はただ、生きることを楽しみ続けた
幼少期にオスマン帝国(現在のトルコ)でのアルメニア人に対する迫害から逃れ、アメリカに渡ったチャーリー。それから30年ほど経った1948年、妻を亡くしたチャーリーは自身のルーツを知るためにソ連統治下のアルメニアに戻ってくる。理想の故郷と思っていた地で、チャーリーはスパイと疑われて逮捕され、収監されてしまう。悲嘆に暮れる中、牢獄の小窓から向かいにあるアパートの部屋が見えることを知り、そこに暮らす夫婦を観察することが日課になっていった。いつしかチャーリーは夫婦の生活に合わせてあたかも同じ空間にいるかのように、一緒に食事をし、歌を歌い、会話を楽しんだ。ところが夫婦仲がこじれて部屋には夫だけが残され、時を同じくしてチャーリーのシベリア行きが決まってしまう。移送の期限が迫る中、チャーリーによる夫婦仲直り作戦が始まる―
チャーリーがアメリカからアルメニアに帰ってきたのは、スターリンがお金を出して、各地に離散したアルメニア人の帰還促進を行った一環でした。アメリカの313人を含む約10万人が移住先の市民権を放棄して、希望を胸に帰還したと映画の中で語られていました。家や仕事もあてがわれると期待して帰ってきたのに、スパイ容疑で逮捕されてしまうという理不尽。 牢獄の小窓から見える向かいの部屋の夫も、元は画家ですが、スターリン政府から絵を描くことを禁じられ、監獄の見張り役をさせられているという不遇の身。
その彼が白い布にアララト山の絵を描いているのに触発されて、チャーリーも最初は拾ってきた小石で、後には賄賂を使って紙を手に入れ、アララト山を描きます。アルメニアの人たちにとって、アララト山は心のよりどころ。
アルメニアの乾杯の順序は、1.主賓 2.同席の女性たち 3.アララト山 と、この映画で知りました。
アララト山は、今は残念ながらトルコの領土になっています。かつて、イラン側からとトルコ側からの両方からアララト山を眺めたことがあります。チャーリーの描いた絵は小アララトが大アララトの左側にあって、イランから見たのと同じ。トルコ側からは小アララトが右側になります。
「故郷はどこ?」と聞かれたチャーリー。「ヴァン湖の近くだと思う」と答えています。かつてのオスマン帝国領ですが、アルメニア人が多く暮らす地域でした。ヴァン湖近くの山の上の遺跡にあがった時に、眼下に広大な森があって、森から飛び出すように大きなアルメニア教会が二つ見えました。森になってしまった一帯が、かつてアルメニア人が暮らした地であることを教えてくれました。1915年~16年にかけて、オスマン帝国軍がアルメニア人を追い出してしまって、森になってしまったのだと胸が痛みました。
アルメニアの人たちは、トルコ人が中央アジアからアナトリアにやってくるよりも、ずっと前から東アナトリアから今のアルメニアにかけての地に暮らしていました。映画の中で、「アルメニアは世界で初めてキリスト教を国教にした国」「ワインとビールもアルメニア人の発明」「世界最古の絨毯」「世界最古の天文台」「ドル札の特殊な緑のインクを発明」「聖書を漢訳したのも実はアルメニア人」と、アルメニアの文化の深さがそこかしこで語られます。
チャーリーが覗くお向かいの部屋では、時折、一族郎党が集まって食事する場面が出てきます。中には、子供の最初の歯を祝う「歯の儀式」も出てきました。伝統楽器での弾き語りもあって、アルメニアの文化をぞんぶんに味わうことができました。
マイケル・グールジャン監督の祖父はジェノサイドの生き残り。世界に離散したアルメニア人への思いに溢れた物語。
なお、アメリカッチとは、アルメニア語でアメリカ人のこと。(咲)
2022年/アルメニア、アメリカ/アルメニア語、ロシア語、英語/121分
字幕翻訳:大西公子
後援:駐日アルメニア共和国大使館
配給:彩プロ
公式サイト:https://amerikatsi.ayapro.ne.jp/
★2025年6月13日(金)より TOHOシネマズシャンテほか全国ロードショー