2022年03月05日

林檎とポラロイド   原題:Mila

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(C)Boo Productions and Lava Films (C) Bartosz Swiniarski

監督・脚本:クリストス・ニク
エグゼクティブ・プロデューサー:ケイト・ブランシェット
出演:アリス・セルヴェタリス、ソフィア・ゲオルゴヴァシリ

ある夜、バスの中で目覚めた男は、記憶を失っていた。覚えているのはリンゴが好きなことだけ。医師から“新しい自分”プログラムに参加し、古い記憶を取り戻すのは諦め、新たな記憶を積み重ねて人生を築きなおすことを勧められる。住まい、食料、洋服、当面の生活費があてがわれる。毎日リンゴを食べ、カセットテープに吹き込まれたミッションをこなし、ポラロイドで記録する。
自転車に乗る、仮想パーティーで友達を作る、酒を飲み踊っている女を探す、ホラー映画を観る、高さ10mからプールにダイブする、運転して車をぶつける、死期の近い人と一緒に過ごし、亡くなったら葬式に参列する・・・
さて、男はどんな人生を築きなおすのか、それとも記憶を取り戻せるのか・・・

なんともいえない可笑しみがありながら、人生の真髄を感じさせてくれる映画でした。たくさんの記憶が、日々の暮らしを豊かにしてくれていることをあらためて思いました。記憶をなくしてしまったら・・・ それはそれで、楽に生きていけるのかもしれません。この映画の主人公のようなミッションを毎日与えられるのも、ちょっとつらいかも。

クリストス・ニク監督は、1984年、ギリシャ・アテネ生まれ。本作が初長編映画。デビュー作でありながらヴェネチア国際映画祭オリゾンティ部門のオープニング作品に選ばれています。同映画祭コンペティション部門の審査員長を務めていたケイト・ブランシェットが評判を聞いて本作を観賞。惚れ込んで、映画完成後にも関わらず、エグゼクティブ・プロデューサーに就任。長編第2作目は、ケイト・ブランシェットプロデュース、キャリー・マリガン主演でハリウッドデビューの企画が進行中。どんな作品になるのでしょう・・・・(咲)


長く生きていると悲しいことにも遭遇します。もしかすると主人公の男性は悲しいことを忘れたくて、あえてこのプログラムに参加したのかもしれません。果物店のご主人から「リンゴは記憶力の低下を防ぐ」と言われた男性は買うつもりだったリンゴを袋から出して、オレンジを買っていました。
淡々とミッションをこなしていく男性。悲しみの中に閉じ籠るのではなく、辛くても行動を起こして前に進んでいくことが大事だと教えられた気がします。(堀)


記憶をなくすのは彼一人ではなく、そういう「奇病が蔓延している世の中」なんだそうです。切り取られた静謐なシーン、淡々とした主人公に共する人も多いでしょう。
寓話だと思いつつ、もっと世間が騒ぎそうとか、いつ自分がなるかもしれないなら、連絡先や身元のわかるものを必ず持ち歩くとか、ついツッコミ。この人は一人暮らしだから誰も探してくれなかったけれど、家に犬や猫や小さな子供や病人がいる人が帰れなくなったら?変なミッションを与えるよりほかにやることがあるでしょ、と現実的なことを考えてしまいました。変な感想ですみません。リアルな話より、ファンタジーのほうが受け入れやすいし、新しい人生を築きたい人が多いのかな。(白)


2020年/ギリシャ・ポーランド・スロベニア/90分/G
配給:ビターズ・エンド
公式サイト:https://www.bitters.co.jp/ringo/
★2022年3月11日(金)より、ヒューマントラストシネマ有楽町、新宿武蔵野館ほか全国順次公開

posted by sakiko at 19:13| Comment(0) | ギリシャ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年10月05日

PITY ある不幸な男 原題:Pity

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監督:バビス・マクリディス
脚本:バビス・マクリディス、エフティミス・フィリップ(『ロブスター』)
出演:ヤニス・ドラコプロス、エヴィ・サウリドウ、マキス・パパディミトリウ

海を見晴らせる瀟洒なアパートメント。
ベルが鳴り、隣人の女性が焼き立てのオレンジケーキを届けてくれる。
「奥様は?」
「危篤状態」と男。
妻は事故に遭い、加害者は裁判で懲役刑を受けたらしい。
10代の息子と向かい合って、黙々と朝食にオレンジケーキを食べる。

クリーニング屋へ。
ここでも「奥様は?」と聞かれる。
「事故以来、犬も元気がない。妻と添い寝してた」と悲しげな面持ちで答える男。

息子がピアノを弾いている。
「明るい曲を弾くべきじゃない。母親が死にそうで喜んでいると思われる」と男。

妻がすっかり回復して自宅に帰ってくる。
息子のピアノも軽やかだ。
隣人からオレンジケーキが届かなくなり、催促にいくが、つれない態度を取られる・・・

なんとも凄まじい物語でした。
同情してもらうことに快感を覚える男。
妻が退院してからの男の行動にあっけにとられます。
それは、観てのお楽しみ。いえ、楽しいとはいえない。もう、ぞくっとします。
人間の心理って、案外そんなものかもと思うと、さらに怖くなります。

息子がピアノで弾いていて明るいと叱られた曲は、モーツァルトのPiano Sonata No 16 C major K 545。懐かしい曲と思ったら、大昔にピアノ発表会で弾いた曲でした。
ちなみに、前半の妻の意識がなくて絶望的なはずの場面では、歓喜に溢れたベートーベンの交響曲第9番。妻が元気になって幸せなはずの場面では、悲しげなモーツアルトのレクイエムが流れます。思えば、それが男の心情だったと思うと、またぞくっとします。
最後の最後は、ちょっとほっとさせられる場面です。後味悪く映画館を出ないで済む、せめてもの監督の配慮でしょうか・・・(咲)



2018年/ギリシャ、ポーランド/ギリシャ語/99分/カラー/1.85:1/5.1ch/DCP
後援:駐日ギリシャ大使館
提供:シノニム
配給:TOCANA
公式サイト:https://pity.jp/
©2018 Neda Film, Madants, Faliro House
★2021年10月8日(金) ヒューマントラストシネマ渋谷、池袋シネマ・ロサ、新宿シネマカリテ他 全国ロードショー




posted by sakiko at 22:24| Comment(0) | ギリシャ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年08月29日

テーラー 人生の仕立て屋   英題:Tailor 原題:Raftis

発想の転換が未来を開いてくれる!

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監督・脚本:ソニア・リザ・ケンターマン
出演:ディミトリス・イメロス、タミラ・クリエヴァ

アテネ中心部にある高級スーツの仕立て屋。50歳になるニコスは、父のもとで36年間、黙々とスーツを仕立ててきた。既製品が安価で手に入るようなり、数年前にギリシャを襲った経済危機も相まって、お得意様の型紙の出番もほとんどない。そんなある日、銀行から突然店の差し押さえの通知が届く。ショックで倒れる父。ニコスは病院で見たキャスター付きの台を見て、ミシンを乗せた屋台を思いつき、移動式の仕立て屋を始める。だが、高値のオーダースーツは露店では全く売れない。そんな彼に、結婚式を控えた娘のためにウェディングドレスを仕立ててほしいと声がかかる。バイクを走らせ、郊外のカミニアの町に赴くニコス。採寸するもののウェディングドレスを作るのは初めて。隣家の夫人オルガと娘のヴィクトリアに手伝ってもらってウェディングドレス作りに挑戦する・・・

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© 2020 Argonauts S.A. Elemag Pictures Made in Germany Iota Production ERT S.A.

胸元がちょっと寂しいと言われ、レースのテーブルクロスを切って、さっとあしらうニコス。頑なに高級紳士服にこだわってきた父も、息子の作った斬新なウェディングドレスに、「悪くないね」とまんざらでもない様子。内気で黙々と足踏みミシンで作業していたニコスに、こんな才能があったなんてと、観ている私たちも驚かされます。
50歳にして危機に面し、お陰で父親の呪縛からも解かれて、自分らしい生き方を見つけるニコスがとても素敵です。コロナ禍の今、発想の転換が未来を切り開いてくれることを教えてくれる本作を観て元気を貰っていただければと願ってやみません。

ところで隣家のオルガが娘のヴィクトリアにロシア語で話しかけていて、娘から「ギリシャ語で話して」と言われています。オルガを演じたタミラ・クリエヴァはアゼルバイジャン出身ですが、ギリシャでは東欧などからの移民の女性をギリシャ男性が娶ることも多いとか。この映画の中でオルガの夫は暴力的なのですが、実はギリシャ女性は強いので、外国人妻のほうが夫は威張れるらしいです。
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© 2020 Argonauts S.A. Elemag Pictures Made in Germany Iota Production ERT S.A.
経済危機や移民のことなどをさりげなく背景にいれながら、独特の哀愁漂うコメディタッチで描いた作品。丸い缶から小粒のドロップをつまんで、ひょいと口に入れ仕事を始めるニコスの姿が忘れられません。抜けるような青空やピレウス港から眺めたエーゲ海、陽気な人たちの集う市場や結婚式・・・と、ギリシャの魅力もたっぷり描いたソニア・リザ・ケンターマン監督は、ちょうど今日8月29日に39歳となりました。次回作も期待したいです。(咲)


監督・脚本
ソニア・リザ・ケンターマン
SONIA LIZA KENTERMAN
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1982年8月29日生まれ。ギリシャ出身。ドイツ人の父とギリシャ人の母を持つ。アテネで社会学の学士号を取得した後、ギリシャのスタヴラコス映画学校と、イギリスで最も古い映画学校であるロンドン・フィルム・スクールで映画製作を学ぶ。彼女の卒業制作である短編映画“Nicoleta”(12・原題)はギリシャ映画アカデミー賞で最優秀短編映画賞にノミネートされた。41の国際映画祭に出品し、合計15の賞に輝く快挙を成し遂げた。今までに8本の短編映画を手掛けており、長編映画は本作が初めてとなる。ギリシャを拠点に、2本目の長編映画を製作中。(公式サイトより)

2020年/ギリシャ・ドイツ・ベルギー/ギリシャ語・ロシア語/101分/スコープ/カラー/5.1ch
日本語字幕:星加久実 字幕監修:柳田富美子
後援:駐日ギリシャ大使館 
配給:松竹
© 2020 Argonauts S.A. Elemag Pictures Made in Germany Iota Production ERT S.A.
公式サイト:https://movies.shochiku.co.jp/tailor/
★2021年9月3日(金) 新宿ピカデリー、角川シネマ有楽町、ヒューマントラストシネマ渋谷ほか全国公開





posted by sakiko at 18:57| Comment(0) | ギリシャ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする