2023年01月15日
母の聖戦 原題:La Civil
監督:テオドラ・アナ・ミハイ
製作:ハンス・エヴァラエル
共同製作:ダルデンヌ兄弟、クリスティアン・ムンジウ、ミシェル・フランコ
出演:アルセリア・ラミレス、アルバロ・ゲレロ、アジェレン・ムソ、ホルヘ・A・ヒメネス
メキシコ北部の町。十代の美しい娘ラウラ(デニッセ・アスピルクエタ)は念入りに化粧をして、母シエロ(アルセリア・ラミレス)にも口紅をさして、ボーイフレンドに会いに出かけていく。それが、シエロが娘の姿を見た最後になってしまう。若い男(ダニエル・ガルシア)から呼び出され、「娘に会いたかったら明日までに15万ペソと旦那の車をよこせ。警察や軍に通報するな」と言い渡される。
シエロは、今は若い愛人と暮らしている夫グスタボ(アルバロ・ゲレロ)のところに行き、事態を話す。翌日、夫と一緒に男に会いに行き、用意できた2万5千ペソと車を渡すが、それでは足りないと追加5万ペソを要求される。居合わせた夫の友人で地元の有力者ドン・キケ(エリヒオ・メレンデス)が夫の店の商品と引き換えに金を出してくれるが、ラウラを返してくれない。
警察に相談しても埒があかず、シエロは自力で娘を取り戻そうと犯罪組織を探り始める。この町に着任して間もない軍のラマルケ中尉(ホルヘ・A・ヒメネス)から、シエロが収集した犯罪組織の情報と引き換えにラウラの捜索を助けるといわれる。協力して、誘拐犯に迫っていくが、はたして、ラウロは無事なのか・・・
ルーマニア生まれでベルギーを拠点に活動する女性監督テオドラ・ミハイの劇映画デビュー作。チャウシェスク政権下のルーマニアに生まれた彼女は、8歳の頃にベルギーに移住。その後、米国カリフォルニアで中高生時代を送り、ニューヨークの大学で映画を学んだ後、ベルギーに戻り、映像業界に入る。メキシコの麻薬戦争下での子供たちを題材とするドキュメンタリーを企画していた中で、『母の聖戦』の主人公シエロのモデルとなった実在の女性ミリアム・ロドリゲスに出会い、フィクションで本作の製作を決めたという。
ベルギーの名匠ダルデンヌ兄弟、『4ヶ月、3週と2日』でカンヌ映画祭パルムドールに輝いたクリスティアン・ムンジウ、『或る終焉』で知られるメキシコの俊英ミシェル・フランコがプロデューサーとして参加。
撮影監督は、ラドゥ・ジューデ監督の問題作『アンラッキー・セックスまたはイカれたポルノ 監督〈自己検閲〉版』などに携わってきたルーマニア人のマリウス・パンドゥル。
第34回東京国際映画祭で『市民』のタイトルで上映され、審査員特別賞受賞した折のテオドラ・ミハイ監督 (撮影:宮崎暁美)
メキシコでは、犯罪組織による誘拐ビジネスが横行していて、2020年には826件の誘拐事件が報告されているとのこと。これは届出件数で、実際には年間約6万件もの誘拐事件が頻発していると推定されています。
身代金を払っても、娘を返してもらえない母の無念の思いをずっしり感じた映画でした。
夫が、「なぜ娘を一人で出かけさせた」と怒鳴る場面がありました。ボーイフレンドに迎えに来させるべきだったということなのでしょう。けれども、こんなに誘拐が頻発している国では、二人一緒に誘拐されることもありえるでしょう。
メキシコだけでなく、安心して出歩けないところは世界各地に多々あることと思います。
なぜタイトルが『La Civil(市民)』なのか?
司法に守られ、安心して暮らせるのが市民でしょうか・・・
監督のタイトルに込めた思いを伺ってみたいところです。(咲)
メキシコでは、日本では考えられない誘拐ビジネスが横行し、金持ちだけでなく庶民もその中に巻き込まれている。母親のシエロは娘の行方を探し回り闘った。闘った相手は誘拐犯だけじゃない。格差と腐敗が日常化した社会。警察は市民の味方ではなく、信用できるのは誰なのか。疑心暗鬼の中で娘の行方を追う。シエロが最後に見たものは何だったのか。彼女の願いは届いたのか。
誘拐犯に車や家を壊され、シエロは現場に駆け付けた軍関係者と組み、誘拐犯を追い、娘を取り戻そうと奔走する。しかし、乗り越えられない大きな現実にぶつかる。知り合いさえ信用できない。それでも彼女は挑んでゆく。
この作品は男中心のマチズモ的社会への批判も込められ、女性の力を示した作品でもある。娘の父親であるシエロの元夫は、家族を捨て愛人と暮らしている。娘の身代金を出してはくれるが頼りにならず、シエロは一人で娘をさがす。母の愛情、勇気を緊張感たっぷりの映像の中に取り入れ、展開がどうなるか一喜一憂しながら観ていた(暁)。
TIFF公式インタビュー「多様な解釈が成立しますが、最終的に子供を誘拐された親の気持ちに寄り添いたかった。」テオドラ・アナ・ミハイ監督:コンペティション部門『市民』
https://2021.tiff-jp.net/news/ja/?p=58459
2021年/ベルギー・ルーマニア・メキシコ合作/135分/カラー/スペイン語/5.1chデジタル/ビスタサイズ
字幕翻訳:渡部美貴
配給:ハーク 配給協力:FLICKK
公式サイト:https:// www.hark3.com/haha
★2023年1月20日(金)より、ヒューマントラストシネマ有楽町、新宿シネマカリテ、YEBISU GARDEN CINEMAほかにて全国ロードショー
2022年05月29日
ニューオーダー(原題:Nuevo Orden)
監督・脚本:ミシェル・フランコ
出演:ネイアン・ゴンザレス・ノルビンド(マリアン)、ディエゴ・ボネータ(ダニエル)、モニカ・デル・カルメン(マルタ)
メキシコの裕福な家庭に育ったマリアン。今日は多くの賓客を招いて結婚披露のパーティが催されている。人生最良の一日になるはずだった。
邸宅から近い通りでは、貧富の格差に対する抗議運動が勃発し、暴動と化していた。それまでにたまりにたまった鬱憤を吐き出す民衆は、暴徒と変わりマリアンの家にも押し寄せ、塀を乗り越えてやってくる。集まっていた名士たちは殺戮と略奪の恰好の標的となり、マリアンは辛くも逃げ出すことができたのだが・・・これは始まりに過ぎなかった。
冒頭に短く重ねられる映像の数々。全裸の女性が雨に打たれ、奔流が階段を下り、ガラス窓に液体がぶっかけられます。その水が全て緑色。破壊される家、病院に担ぎ込まれる血だらけの怪我人、折り重なる死体と衝撃的な場面が3分間ほど続きます。次の華やかなパーティの場面の裏ではこんなことがという不穏な幕開け。
メキシコの映画界を牽引する俊英ミシェル・フランコ監督は「メキシコだけでなく、世界は極限状態に追い込まれている。まるで日々ディストピアに近づいているように」と語っています。限りなく真実に近いフィクションだと誰しも思うでしょう。
社会的・経済的格差は拡がり、この映画のようにいつ怒りが噴出するのか不安になります。始まったら誰が止められるのか、自分がどんな風になるのか、考えずにいられません。そうならないように、何ができるのでしょうか? 絶望的な場面では人間の醜悪さが露呈し、観客は想像したくないもの、観たくないものを観てしまった気分になります。ぎゅっと詰まった86分、「観ておくべき映画、でも短くて良かった」と思うはず。ヴェネツィア国際映画祭審査員大賞を受賞。(白)
メキシコの国旗は緑、白、赤の縦三色の中央に国章を配しています。東京都立図書館のHPによれば「緑・白・赤は、スペインから独立するときに掲げた諸州の独立・信仰・統一の「3つの保障」を表し、緑は諸州の独立を、白はカトリックへの信仰心を、赤は民族の統一を象徴している」とのこと。本作では冒頭から世界が緑に飲み込まれていくように描かれる中、ヒロイン的存在のマリアンが真っ赤なスーツに身を包み、メキシコ国旗を彷彿させます。彼女の結婚パーティーが開かれているところにやってきたのが元使用人。彼は妻の手術費用の援助を頼み込んできました。妻も元使用人だったこともあり、彼女は何とかしてあげようと必死に行動します。民族の統一を象徴する赤がここでは富裕層と貧民層を繋ぐ希望となっていく…。
なんて安直なストーリーではありませんでした。だからこそ、リアルに感じてしまう。いつどこで同じことが起こるかわかりません。メキシコのことなどと高を括っていると日本でも起こるかもしれない。そんな恐怖をたっぷり感じる作品です。(堀)
「世界が嫌悪し括目した、今そこにある“悪夢”を描くディストピア・スリラー」と大きく書かれた案内に、ホラーやスリラーが苦手な私は、この映画は観ないでおこうと実は思ったのです。でも、公式サイトに書かれていることや、観た人たちの映画評から、「体制が変わる」ことを描いたものだと知り、思い切って観てみました。確かに、居心地のいい映画ではありません。メキシコで撮影していて、メキシコならではの⽀配階級の白人が裕福で、スペインに征服される前から暮らしているネイティブの人たちが貧困という対比が背景にあるものの、具体的な政変を描いたものではありません。まさに、世界のどこにでも起こりうる話として描いたことに監督の思いを感じます。
私も含め、戦後生まれの日本人は体制が変わるという経験をしていませんが、戦前生まれの日本人は体制が大きく変わったことを経験しています。
私の身近なところでは、イランが1979年の革命で、王政からイスラーム体制に変わり、王政時代の閣僚や富裕層が処刑されるのを目撃しました。生活規範も大きく変わって、王政時代と革命後のイランは、まるで違う国のようです。革命当時、信条の違いで、隣人と仲を分かつということも経験した人たちは、体制派なのか反体制派なのか、はっきり表明しないことが生き延びる術だということも知っているように思えます。
70年以上、「平和」といわれる中で暮らしてきた私たち日本人。事が起こった時に対応できるでしょうか・・・ 映画を観終わって、私たちにも起こりうることと、背筋が寒くなりました。
冒頭に出てくる色鮮やかな抽象画は、メキシコの画家オマール・ロドリゲス・グラハムの「死者だけが戦争の終わりを見た」というタイトルがついたもの。 映画の最後に、冒頭の絵の意味深なタイトルを知り、さらにぞくっとしました。(咲)
2020年/メキシコ・フランス/カラー/スペイン語/シネスコ/86分
配給:クロックワークス
(C)2020 Lo que algunos sonaron S.A. de C.V., Les Films d’Ici
https://klockworx-v.com/neworder/
★2022年6月4日(土)ロードショー
2020年09月13日
セノーテ 原題:TS’ONOT 英題:CENOTE
2020年9月19日(土)より 新宿K's cinemaほか全国順次公開 他の公開情報
監督・撮影・編集:小田香
日本・メキシコ/2019/75分
メキシコの泉(セノーテ)をめぐる神秘の旅
メキシコ、ユカタン半島北部に点在するセノーテと呼ばれる洞窟内の泉。そこはかつてマヤ文明の時代の水源であり、雨乞いの儀式のために生け贄が捧げられた場所だった。古代マヤで、現世と黄泉の世界を結ぶと信じられていたセノーテをめぐって交錯する、人々の過去と現在の記憶。カメラは水中と地上を浮遊し、光と闇の魅惑の映像に遠い記憶がこだまする。
現地に住む人々に取材し、現地の人たちの語る「精霊の声」、「マヤ演劇」のセリフなど、マヤの人たちにより伝えられてきた言葉の数々。集団的記憶、原風景を映像に取り入れている。セノーテの水中撮影のため、小田監督自らダイビングのライセンスを取り、iPhoneや8ミリフィルムカメラを駆使し、誰も見たことがない不思議な世界を表現した。
2015年に『鉱 ARAGANE』を完成させ、同作は山形国際ドキュメンタリー映画祭2015のアジア千波万波部門にて特別賞を受賞している。今年、第1回大島渚賞を受賞した。(公式HPより:世界に羽ばたく新たな才能の発掘を目的に大島渚監督が1979年から10年間審査員を務めたぴあフィルムフェスティバルが創設。『戦場のメリークリスマス』に出演した坂本龍一が審査委員長、大島監督が審査員の時に見いだされた黒沢清監督、同映画祭ディレクターの荒木啓子氏が審査員を務めた)
今も泉の底に残る骸骨や遺品の数々。泉の中から真上を見上げた光景などが印象に残る。こんな映像を自らダイビングの資格を取り、撮影した女性がいるというのを心強く思った。海外留学したり、海外での「武者修行」という行動力、勇気にエールを送りたい(暁)。
昨年の第12回恵比寿映像祭で本作に初めて出会った時の衝撃は忘れ難い。鑑賞直後に小田香監督のトークセッションがあり、本人の印象が強かったせいもあるだろう。これほど幻想的な光と水、外の世界との”あわい”を繊細に描く人が、見た目は体育会系、話すと大阪弁の気さくなお姉ちゃん!といったギャップを感じたことに由来しているのかもしれない。
題材、マヤ文明への興味、ユカタン半島への果敢な取材、現地の人さえ脚を運ばないセノーテにまで潜り(水が嫌いなのに!)、カメラを回した勇気…。全てに於いて規格外。近頃の若手監督にはついぞ見られないスケール感に圧倒されたのだ。栄えある「第1回 大島渚賞」受賞の選考理由が、「大器出現の予感」だったのも納得である。
だが、当の小田監督には”芸術ドキュメンタリー作家”という気負いは観られない。
「カメラで撮っていると、カチッとくる瞬間がある。頭で考えない自分だけの感覚」
と言う静かな語り口が新鮮だった。独創性溢れる小田監督の”カチッとくる瞬間”が生み出す作品世界に、今後も期待したい。(幸)
小田香さんの長編第一作『鉱 ARAGANE』を観たときに、無駄のない研ぎ澄まされたような映像に釘付けになったのを思い出す。『セノーテ』もまた、精霊が宿ったような神秘的な映像に驚かされた。
『ニーチェの馬』を最後に引退したタル・ベーラ監督が後進の育成のために設立した映画学校「film.factory」で3年間学んだ小田香さん。気難しいタル・ベーラ監督のお眼鏡に敵ったのも納得の期待の監督である。(咲)
公式HP http://aragane-film.info/cenote/
2019年/75分/デジタル
製作:cinevɘndaval、FieldRain
監督・撮影・編集:小田香
日本・メキシコ/2019/75分
メキシコの泉(セノーテ)をめぐる神秘の旅
メキシコ、ユカタン半島北部に点在するセノーテと呼ばれる洞窟内の泉。そこはかつてマヤ文明の時代の水源であり、雨乞いの儀式のために生け贄が捧げられた場所だった。古代マヤで、現世と黄泉の世界を結ぶと信じられていたセノーテをめぐって交錯する、人々の過去と現在の記憶。カメラは水中と地上を浮遊し、光と闇の魅惑の映像に遠い記憶がこだまする。
現地に住む人々に取材し、現地の人たちの語る「精霊の声」、「マヤ演劇」のセリフなど、マヤの人たちにより伝えられてきた言葉の数々。集団的記憶、原風景を映像に取り入れている。セノーテの水中撮影のため、小田監督自らダイビングのライセンスを取り、iPhoneや8ミリフィルムカメラを駆使し、誰も見たことがない不思議な世界を表現した。
2015年に『鉱 ARAGANE』を完成させ、同作は山形国際ドキュメンタリー映画祭2015のアジア千波万波部門にて特別賞を受賞している。今年、第1回大島渚賞を受賞した。(公式HPより:世界に羽ばたく新たな才能の発掘を目的に大島渚監督が1979年から10年間審査員を務めたぴあフィルムフェスティバルが創設。『戦場のメリークリスマス』に出演した坂本龍一が審査委員長、大島監督が審査員の時に見いだされた黒沢清監督、同映画祭ディレクターの荒木啓子氏が審査員を務めた)
今も泉の底に残る骸骨や遺品の数々。泉の中から真上を見上げた光景などが印象に残る。こんな映像を自らダイビングの資格を取り、撮影した女性がいるというのを心強く思った。海外留学したり、海外での「武者修行」という行動力、勇気にエールを送りたい(暁)。
昨年の第12回恵比寿映像祭で本作に初めて出会った時の衝撃は忘れ難い。鑑賞直後に小田香監督のトークセッションがあり、本人の印象が強かったせいもあるだろう。これほど幻想的な光と水、外の世界との”あわい”を繊細に描く人が、見た目は体育会系、話すと大阪弁の気さくなお姉ちゃん!といったギャップを感じたことに由来しているのかもしれない。
題材、マヤ文明への興味、ユカタン半島への果敢な取材、現地の人さえ脚を運ばないセノーテにまで潜り(水が嫌いなのに!)、カメラを回した勇気…。全てに於いて規格外。近頃の若手監督にはついぞ見られないスケール感に圧倒されたのだ。栄えある「第1回 大島渚賞」受賞の選考理由が、「大器出現の予感」だったのも納得である。
だが、当の小田監督には”芸術ドキュメンタリー作家”という気負いは観られない。
「カメラで撮っていると、カチッとくる瞬間がある。頭で考えない自分だけの感覚」
と言う静かな語り口が新鮮だった。独創性溢れる小田監督の”カチッとくる瞬間”が生み出す作品世界に、今後も期待したい。(幸)
小田香さんの長編第一作『鉱 ARAGANE』を観たときに、無駄のない研ぎ澄まされたような映像に釘付けになったのを思い出す。『セノーテ』もまた、精霊が宿ったような神秘的な映像に驚かされた。
『ニーチェの馬』を最後に引退したタル・ベーラ監督が後進の育成のために設立した映画学校「film.factory」で3年間学んだ小田香さん。気難しいタル・ベーラ監督のお眼鏡に敵ったのも納得の期待の監督である。(咲)
公式HP http://aragane-film.info/cenote/
2019年/75分/デジタル
製作:cinevɘndaval、FieldRain
2020年07月03日
グッド・ワイフ(原題:Las niñas bien)
監督・脚本:アレハンドラ・マルケス・アベヤ
出演:イルセ・サラス(ソフィア)、カサンドラ・シアンゲロッティ(アレハンドラ)、パウリーナ・ガイタン(アナ・パウラ)、ジョアンナ・ムリーヨ(イネス)、フラビオ・メディナ(フェルナンド)
1982年、メキシコシティの高級住宅地ラスロマス。ソフィアは実業家の夫フェルナンド、3人の子どもたちと豪邸に暮らしている。セレブ妻たちのコミュニティで女王のごとく君臨し、そのヘアスタイルやメイク、ドレスもあこがれの的になっている。実は火花を散らしているマダムたちの仲間に入ってきたのは新顔のアナ・パウラ。夫は証券会社を経営し、今最も羽振りがいい。ソフィアは垢抜けないアナに冷ややかな態度を崩さないが、メキシコの経済危機はフェルディナンドの会社もソフィアの暮らしも直撃する。盤石と信じた基盤が危うくなり、カードも小切手も使えなくなったセレブな人々はどうなる?
オープニングはソフィアの誕生日パーティ。肩パッド入りの豪華なドレスを身にまとい、鏡の前でポーズをとる彼女は自信満々です。母親の薦めで結婚した家柄の良いリッチな夫との結婚生活は大当たりで、たくさんの使用人に家を任せ、お洒落と遊びと買い物三昧の毎日。それも夫の階級、地位と収入にかかっています。
これまでなら庶民の目線のコメディ仕立てにして笑い飛ばすところを、アベヤ監督はソフィアを中心に、女性の内面をシリアスに描いて見せました。40年ほど前の女性がどんな立場であったのか、垣間見ることができます。ソフィアの妄想恋人が人気歌手のフリオ・イグレシアスというのが、空虚な心を埋めているようで少し気の毒。(白)
1982年生まれのアレハンドラ・マルケス・アベヤ監督。彼女が、長編2作目となる本作を自分の生まれ育った時代を舞台に描くのにあたって着想を得たのが、敬愛する作家グアダルーペ・ロアエサの小説。グアダルーペ自身が属するメキシコの上流階級の人々の生態をユーモアと辛辣な語りであばき出した物語。映画のスペイン語の原題『Las ninas bien』も、グアダルーペが1985年に出した処女小説のタイトルから取っています。英題は『The Good Girls』ですが、単に良い子(少女)というだけでなく、良家の子女といった階級やお金に結びついたニュアンスがあるそうです。
1980年代頃から、女性たちが男女同権を目指して頑張り、多くの権利を得てきましたが、一方で、金と権力のある夫の妻というステータスに憧れる女性もいまだに存在します。アベヤ監督は、上流階級の女性たちが、男女同権を目指す活動を阻む一因になっているのではないかと危惧しています。夫の倒産ですべてを失ってしまう惨めなソフィアの姿から、夫に頼らず女性も自立すべきと教えられた気がします。(咲)
肩パットがバーンと張った白いワンピースを身につけたソフィアを10枚以上の合わせ鏡が映し出す。ちょっと振り返って勝ち誇ったような笑みを浮かべるソフィアの美しさは完璧! そんな女王のようなソフィアが転げ落ちていく姿を作品はシビアに描いています。
いい妻とはどんな妻? 料理が上手で、家の中はいつもきれいに整えられ、贅沢をせずに家計をうまく切り盛りする。一般的にはこんなところでしょうか。
本作に出てくる人々は庶民とはかけ離れた世界に住んでいます。妻は料理を作らず、掃除もしない。それは使用人たちの仕事。確かにお金があれば代替可能。買い物三昧、テニス三昧でストレスもなく美しい妻でいることは他の人には代替できません。そんな妻が家にいることで夫は仕事に邁進します。
男が働き、女が家庭を守る。舞台となった1982年頃、日本もこの認識で家庭は成り立っていました。
1986年に男女雇用機会均等法か施行され、女性も男性と同じように働けるようになりました。それからもうすぐ40年。施行直後は形ばかりでしたが(ちょうど私が就職したころです)、今は女性も男性と同じように働けるようになってきています。しかし、家事労働は女性メインの意識はなかなか変わらない。仕事と家庭で疲れた女性の憧れがこの作品に出てくるような専業主婦だと結婚後も仕事を続ける娘が言っています。
男性に依存する生き方は宝くじを買うようなもの。ソフィアが転げ落ちたようにパウラもいつ転げ落ちるかわかりません。自分の力で生きていく術を持つことの大切さを是非この作品から感じ取ってほしいと(術を持たなかった母は)思います。(堀)
2018年/メキシコ/カラー/シネスコ/100分
配給:ミモザフィルムズ
(C)D.R. ESTEBAN CORP S.A. DE C.V. , MEXICO 2018
http://goodwife-movie.com/
★2020年7月10 日(金)よりYEBISU GARDEN CINEMAほか全国順次ロードショー