2022年5月6日より全国順次公開 公開劇場情報
アメリカの1960年代以降の音楽、フォーク、カントリー、ロックなどの分野を代表する歌い手を紹介する「極上のロック・ドキュメンタリー ROCKUMENTARY2022」の3本が公開され、その第一弾として『リンダ・ロンシュタット サウンド・オブ・マイ・ヴォイス』が公開されている。そしてあとの2本が『スージーQ』と『ローレル・キャニオン 夢のウェストコースト・ロック』。それでは『スージーQ』を紹介します。
女性ロックシンガーの草分けスージー・クアトロ
道を切り拓いたのは彼女だった
監督・製作:リーアム・ファーメイジャー
製作:テイト・ブレイディ
編集:サラ・エドワーズ
撮影:ジャック・イートン、ジェームズ・ナトール、デヴィッド・リチャードソン
出演:スージー・クアトロ、アリス・クーパー、ジョーン・ジェット、デボラ・ハリー、シェリー・カーリー、リタ・フォード、
黒レザーのジャンプスーツ。レザーのスーツ姿で仁王立ちするジャケット写真は、“スージー・クアトロ”の代名詞とも言える。小柄な体で大きなベースを弾きながらしゃがれ声でシャウトするスージーQことスージー・クアトロ。キュートな姿でバックバンドの男たちを率いて歌う姿がとても神々しい。そこに至るまでの彼女のエネルギッシュな半生を描いたドキュメンタリー。
70歳を超えてもなお現役で活躍する女性ロックシンガーの草分け的存在であるスージー・クアトロは、車の町アメリカ・デトロイトに生まれ、音楽一家に育ち、60年代に姉妹で結成した「プレジャー・シーカーズ」というバンドを作り地元で活躍していた。しかし、スージーだけがメジャーに引き抜かれ、イギリスに渡ってデビューする話が出て、迷った末、その道を進むことになった。ロンドンでの成功。しかし、そのことが家族との確執を生む。成功しながらも苦しい時代を過ごす。そして、イギリスでは活躍していたものの、アメリカでの成功はなかなか難しかった。女性ロックンローラー誕生の真実に迫る。
多くの女性に影響を与えた彼女の魅力。彼女を追ってロッカーになった女性たち、スージーを崇拝するジョーン・ジェットや、デボラ・ハリー、 シェリー・カーリー、スージーと共にツアーに同行したアリス・クーパー等、女性ロッカー総出演で、彼女の音楽を語る。そして、周りのバンドメンバーや、音楽関係者、そして家族が彼女を語る。
女性ロック歌手の草分け的存在として1970年代に一世風靡したスージー・クアトロということだけど、私自身はこの3本のシリーズの中で、スージー・クアトロは名前しか知らなかった。私はロック系のがなり立てるような歌い方とかエレキギターの音が好きではなかったので、自分から聴いてみようとはしていなかった。ただ、ラジオや街中で流れていた音楽は自然に入ってくるので、知らずに聴いていたということは多々あった。ベースを弾きながらバックバンドを従えて歌うスージーQの姿を観て、どこかで見たことあったかもと思ったし、70を越えた今もロックしている姿を観て、かっこいい!! 素晴らしい!!と思った。
このドキュメンタリ―を観て、彼女の黒いレザーのジャンプスーツの姿やベースギターをかき鳴らす姿を見て、そういえばこういう写真や映像は見たことあったなと思った。でもこの人がスージーQだとは認識していなかった。そしてYouTubeで検索してみたら、「ワイルド・ワン」や「キャン・ザ・キャン」、「メロウなふたり(Stumblin' In)」「悪魔とドライブ(Devil Gate Drive)」など聴いたことがあったと思った。
彼女はデトロイト出身だったけど、成功したのはイギリスはヨーロッパ。そしてオーストラリアや日本でも活躍したけど、アメリカではなかなかヒットが生まれなかったというけど、それは彼女にとってはつらいことだったのではないだろうか。
スージーはアメリカ人にしては小柄な女性のよう。大きなベースギターを弾く姿を観て、身体の割に大きすぎて弾きにくそうと思ったし、かなり下の位置で弾いている姿を観て、この位置で弾きやすいのだろうかとも思った。私自身小柄で、ギターを弾く時にストラップを一番短くしても長く、とても弾きずらかったのを思いだした。彼女はそうは感じていないのだろうか。あるいは慣れてしまえば、そうは思わないのか。そんなことも思った。でもYouTubeを見ていたら、そういうギターばかり使っているわけでもなさそうだから、臨機応変に使っているのかな。
余談だけど、この映画の中に、スージーQに憧れてロックアーティストになったというジョーン・ジェットが出てきたけど、私は彼女が話している姿を初めて見た。私自身はジョーン・ジェットのことは、香港の映画俳優&歌手である劉徳華(アンディ・ラウ)の歌う「我恨我痴心」という歌の元歌がジョーン・ジェットの「I Hate Myself for Loving You」ということを知った1994年から知っていたのだけど、彼女が歌う「I Hate Myself for Loving You」の映像を見たのは、今回YouTubeで検索していて出てきたので初めて見た。アンディの「我恨我痴心」は1994年、香港でのアンディのコンサートで見てとても気になり、CDやコンサートDVDなどで見ていたのだけど、その頃はYouTubeなんてないし、元歌は音しか聴けなかった。
今回、こういうのも含めて、50年近い前の映像もたくさんあって、今やそれをYouTubeなどで見ることができるということを知り、楽しみが増えた。でもYouTubeを見始めると際限がない。関連歌手や歌が次から次へと出てきてついつい見続けてしまう。スージーQもたくさんYouTubeでたくさん見た。大関のCMにも出ていたということも知った(笑)。こんなのも載っているんだね(暁)。
公式HP https://unpfilm.com/rockumentary2022/
提供:ジェットリンク
2019年製作/104分/オーストラリア
配給:アンプラグド
2022年05月01日
2022年02月06日
オーストリアからオーストラリアへ ふたりの自転車大冒険 原題:Austria2Australia
監督・脚本・撮影・編集:アンドレアス・ブチウマンとドミニク・ボヒス
監修 :マルティナ・アイヒホルン
最終編集:イネス・ヴェーバー
プロデューサー:ヨーゼフ・アイヒホルツァー
オーストリアでIT企業に勤める青年アンドレアス・ブチウマンとドミニク・ボヒスは、大学時代からの友人。二人はオーストリアからオーストラリアまで自転車で走破する旅に出る。海路を除いてその距離 18,000km、訪問国 19 か国、期間にして 11 か月!
ふたりを突き動かしたのは「限界に挑戦したい」というシンプルな情熱と好奇心。
本作は、自転車に積み込んだ小型カメラ2台と、GoPro(ゴープロ)のカメラにドローンで撮った旅の記録。
自転車で冒険旅行に出ると決めた二人。地図を手に取り、いちばん下の右端にあるオーストラリアを目的地に決め、ビザ発行があまり面倒でなさそうな国を通る計画を立てたとのこと。
オーストリアのリンツを出て、東欧などを経由してロシアに入るまでは、毎日、寝場所を探し、食料や水の調達をするのに精一杯であまり映像がありません。ようやく余裕が出来たのかモスクワの赤の広場が映し出されますが、ロシアではビザの有効期間 30 日の間に2500 キロを走破しなくてはならず、地元の人と交流する時間もなかった模様。


ロシアからカザフスタンに入ったとたん、知り合った運転手さんの家に招かれ、ご馳走を振舞われ、さらに結婚式にも参加と、イスラーム世界あるあるのおもてなしがさっそく展開。キルギスや中国のカシュガルでも中央アジア風のムスリムのおもてなし。
カシュガルには、1990年代に行ったことがあるのですが、すでに漢民族がじわじわと入ってきていました。ここ数年、ウィグルの人たちの文化が蹂躙されている報道が続いていますが、この映画にはウィグルの人たちの活気ある姿が映し出されていて、もしかしたら貴重な記録になるのではと思ってしまいました。

次に入ったパキスタンでは、パトカーがすぐ後ろに密着してついてきて、ウザイし怖いと、なんとかまくのですが、また警官たちが現れて、実は心配して見守ってくれていたのだとわかります。その夜は、警官たちはじめ大勢の男の人たちと太鼓と手拍子で踊るというお酒抜きの宴が続きました。私もパキスタンでは町を散策していた時に、好奇心いっぱいの人たちに取り囲まれた経験があるので、これまたあるあるの世界だなぁ~と。

(C)Aichholzer Film / Dominik Bochis / Andreas Buciuman
インドに入り、アムリトサルにあるシク教の黄金寺院で、振舞い料理をいただく場面が出てきました。『聖者たちの食卓』(2011年/ベルギー 監督:フィリップ・ウィチュス、ヴァレリー・ベルト)を思い出しました。
ネパールにも行き、その後、ミャンマーのビザが取れず仕方なく飛行機でタイへ。マレーシア経由シンガポールまで走り、飛行機でオーストラリアのパースへ。そこで旅は終わらず、さらに東のブリスベーンまで。 後半は(暁)さんに詳細は譲りますが、途中でやめたくなる苦労もあった自転車の旅。やり遂げた時の爽快感(と脱力感も?)が観ている私たちにも伝わってきました。そも、自転車に乗れないので、とても真似はできませんが、見知らぬ土地の人たちと交流しながらの旅に、いつかまた出たくなりました。コロナがうらめしいです・・・ (咲)
恐らくアンドレアスとドミニクは自転車での旅がここまでハードなものになるとは思っていなかったのではないだろうか。作品の前半は軽口をたたく余裕もあったけれど、次第に自分の決断に迷いが生じてくる。そんな姿もしっかり映し出しているので、2人に感情移入し、他人事には思えなくなってしまう。旅行中にすでにFacebookを通じて発信していたことから、旅先で声を掛けられる場面があり、リアルタイムで知らなかった自分が残念に思えてきた。この旅をやり遂げたアンドレアスとドミニクは今、どんな生活をしているのだろう。もし、また自転車でどこかに行くようなことがあったら、Facebookで追いかけてみたい。(堀)
本当はスタッフ日記のほうに書く予定だったのだけど、もう公開が始まってしまうので、こちらの作品紹介に映画を観ての感想や思ったことを記します。
まずタイトルに惹かれました(笑)。「オーストリア」と「オーストラリア」、昔から紛らわしいと思っていました。オーストリアとオーストラリア、どっちなの?ということ、何度もありました。このオーストリア在住の若者たちがオーストラリアに向けて自転車で旅をする、これは面白そうと思いました。
ヨーロッパからロシアに向けての最初は雨が多かったようですが、ロシアを通り抜けカザフスタンに入ってからのからっとした草原の景色を見てほっとしました。11か月にも渡る旅の間、いろいろな人と出会い、二人の関係もぎくしゃくした時もあったようだし、アクシデントも何回も。自転車が壊れたこともありました。でも目標のオーストラリアに向かって走り続けました。その姿がすがすがしかった。パキスタンの部分の詳細は(咲)さんのところに詳しく書かれているけど、最後警官の人たちとの宴会では、思わず大笑いしてしまいました。喧噪のインド、ヒマラヤやカラコルムの山々を眺めながら走り、そしてネパール、マレーシア、シンガポールへ。このアジアの景色は、けっこう映画などで観て来た景色ではあるものの、思わず懐かしくてほっこりしてしまいました。
シンガポールからオーストラリアには飛行機で入国し、オーストラリアの西から東へ横断したものの、入り口の「パース」という地名は語られず。HPの地図にも載っていません。とても残念。なぜこだわるかというと、私が初めて海外旅行に行ったのは1990年でパースでした。そこに移住した友人を訪ねて、友人3人で訪ねました。なのでパースからのこの二人の自転車の旅は、その時のことを思い出させてくれました。舗装された道路の横は大地の赤い土の色がずっと続いていたのですが、同じようにそれが映されていました。まっかな大地の色にびっくりしたことを覚えています。そして二人が通った砂漠の砂の色が真っ白でびっくりしました。映画を観終わってから、ふと数日前にTVで見た「NHK ブラタモリ」の「南紀白浜」の回で、「白浜の白い砂はオーストラリアから輸入したものがある」と言っていたのを思いだしました。もしかしたら、この砂漠の砂かもと思って調べてみたら、たぶんそのようでした。それほど印象的な真っ白な砂漠が続いていました。そしてたどりついた最終目的地ビリズベン。ちなみにそのパースに移住した友人はオーストラリアに帰るオーストラリア人と一緒に行ったのですが、この二人とは逆に、東のシドニーからパースへ(つまり東から西へ)車で約6000㎞移動したそうです。途中たくさんの野生のカンガルーにも会ったと言っていました。
それにしても自転車でこの旅を続けるという、難しいけど素晴らしい冒険旅行。そしてそれを記録し映画にしたということは、撮影機材が小型化したこの時代だからできたことだし、この新型コロナが広がる前だからできたこと。絶妙なタイミングだったということですね。映画公開という意味ではこのくらいの長さがいいのかもしれませんが、通った土地の映像がもう少しある長いバージョンも観てみたいな(暁)。
写真クレジット © Aichholzer Film 2020
2020 年/オーストリア/ドイツ語/カラー/デジタル/16:9/88 分
日本版字幕:吉川美奈子
© Aichholzer Film 2020
日本公開後援:オーストリア大使館/オーストリア文化フォーラム
公益財団法人日本サイクリング協会
提供・配給:パンドラ
公式サイト:http://www.pan-dora.co.jp/austria2australia/
★2022年2月11日(金祝)ヒューマントラストシネマ有楽町&アップリンク吉祥寺他全国順次公開‼
2021年11月14日
ユダヤ人の私 原題:Ein judisches Leben 英題:A Jewish Life
監督:クリスティアン・クレーネス、フロリアン・ヴァイゲンザマー、クリスティアン・ケルマー、ローランド・シュロットホーファー
製作:ブラックボックスフィルム&メディアプロダクション
終戦から74年間 悪夢を語り続けたホロコースト生存者マルコ・ファインゴルト氏の最後の警鐘。
ゲッベルスの秘書ブルンヒルデ・ポムゼルの証言を記録した『ゲッベルスと私』(2018年 岩波ホール公開)の【ホロコースト証言シリーズ】第2弾。
ユダヤ人のマルコ・ファインゴルトは1939年に逮捕され、アウシュヴィッツを含む4つの強制収容所に収容される。終戦後は、10万人以上のユダヤ人難民をパレスチナへ逃がし、自らの体験とナチスの罪、そしてナチスに加担した自国オーストリアの責任を、70年以上訴え続けた。本作はマルコの数奇な人生を通じ、反ユダヤ主義がどのように広まりホロコーストに繋がったか世界初公開のアーカイヴ映像を交えながら映し出す貴重なドキュメンタリー。“国家と人は過去の過ちを忘れている”と語るマルコのインタビューは、過去と地続きにある現在に警鐘を鳴らす。
マルコ・ファインゴルト(1913-2019)
1913年にハンガリーで生まれウィーンで育つ。小学校の教師が反ユダヤ主義者だったため登校を拒否する。1938年、ビジネスで滞在していたイタリアから一時帰国すると、アンシュルス(ドイツ=オーストリア合併)によって反ユダヤ主義が急速に広まる。1939年、ゲシュタポに逮捕され、1945年まで4つの強制収容所に収容される。終戦後はユダヤ人難民の人道支援と公演活動に取り組む。オーストリアのユダヤ人協会代表を務め、その功績に多くの栄誉ある章が与えられる。2019年9月19日にその生涯を閉じる。享年106歳。
ファインゴルト氏の語る中で、一番気になったのが、「ブーヘンヴァルトに収容されていた28カ国の囚人のなかで、祖国から迎えが来なかったのはオーストリア人だけだった」という言葉でした。28カ国からユダヤ人を連行してきたことにも驚きましたが、なぜオーストリア人だけ?と疑問に思った次第です。
オーストリアといえば、ヒトラーの出身地。プレス資料などで確認してみたところ、「反ユダヤ主義はドイツ人が持ち込んだものではなく、オーストリアで何世紀にもわたって培われ、カトリック教会がそれを後押ししたのです」というフロリアン・ヴァイゲンザマー監督の言葉がありました。実に、オーストリア国民の90%が反ユダヤ主義! ヒトラーの反ユダヤ主義もそのような環境だったからこそ根付いたのでしょう。
ユダヤ人生存者128人のウィーン帰還を阻止したのは、臨時政府首相から戦後初代大統領となった社会民主主義者カール・レンナー。ファインゴルト氏は、ウィーンの家に戻ることができず、収容所に戻されるのを恐れ、ザルツブルクで列車を降り、そのままそこで生涯をおくっています。ユダヤ人というだけで、財産も故郷も家族も奪われたファインゴルト氏。一方で、戦後、ユダヤ人のためにできた国イスラエルが、パレスチナ人を今も蹂躙しているという状況があります。私たちはますます不寛容になる社会に何をできるかを考えないといけないと強く思いました。(咲)
★公開初日監督舞台挨拶
11月20日(土)岩波ホール13:00からの回上映後
11月27日(土)第七藝術劇場15:55からの回上映後
クレーネス監督、ヴァイゲンザマー監督の舞台挨拶(zoom)
2021年/オーストリア映画/114分/16:9、4:3/モノクロ
日本語字幕:吉川美奈子
配給:サニーフィルム
協力:オーストリア文化フォーラム東京
公式サイト:https://www.sunny-film.com/shogen-series
★2021年11月20日(土)岩波ホール他全国順次公開
2021年06月06日
犬は歌わない 原題:Space Dogs
監督・プロデューサー: エルザ・クレムザー&レヴィン・ペーター
ナレーション: アレクセイ・セレブリャコフ
撮影監督:ユヌス・ロイ・イメル
音楽:ピーター・サイモン&ジョナサン・ショア
編集:ヤン・ソルダット、ステファン・ベヒャンガー
世界で初めて宇宙に飛んだ犬のライカの魂は、今もモスクワの街を彷徨っている・・・
1950年代、東西冷戦の時代。ソビエト連邦は宇宙開発に向けて様々な実験を繰り返していた。その中の一つがスペース・ドッグ計画。世界初の“宇宙飛行犬”として飛び立ったライカは、かつてモスクワの街角を縄張りにする野良犬だった。宇宙開発に借り出された彼女は宇宙空間に出た初の生物であり、初の犠牲者となった。時は過ぎ、モスクワの犬たちは今日も苛酷な現実を生き抜いている。そして街にはこんな都市伝説が生まれていた"ライカは霊として地球に戻り、彼女の子孫たちと共に街角をさまよっている"
本作は宇宙開発、エゴ、理不尽な暴力、犬を取り巻くこの社会を宇宙開発計画のアーカイブと地上の犬目線で撮影された映像によって描き出す、モスクワの街角と宇宙が犬たちを通して交差する新感覚のドキュメンタリー映画。
初めて宇宙に飛んだのが、ワンちゃんだったと聞いたのは小学生の時のことでした。米ソが競って宇宙開発をしていた時代です。ソ連は犬を、アメリカはチンパンジーを最初の宇宙飛行の実験台に選びました。
本作で、選ばれた野良犬たちが、飛行前に様々な実験をされる光景を目にして、なんとまぁ気の毒なと胸が痛みました。
人間の宇宙飛行が可能かどうか検証するために、「スペース・ドッグ計画」として、宇宙に飛んだ犬はライカに続き数十匹。犬は飼い主に情を抱くもの。最初は野良犬でも、訓練しているうちに、訓練にあたっている人たちに親しみを感じていったに違いありません。引き離されて、狭い宇宙船に閉じ込められたワンちゃん。どれほど寂しくて不安な思いをしたことでしょう・・・ 犬権無視の宇宙開発があって、人類が宇宙に飛ぶことができたことを忘れてはならないと思いました。
一方で、現在のモスクワ。街をたむろする野良犬たち。ご先祖さまは、もしかしたら宇宙開発を支えたかもしれません。
5月28日から公開されている日露合作映画『ハチとパルマの物語』は、ソ連にもハチ公のような忠犬がいた実話をもとに描いた物語。先行公開されたロシアで大ヒット。犬がいかに人間に忠実なのかを再認識して野良犬にも接したいものですね。(咲)
人間より前に犬が宇宙に行っていたことを本作で初めて知りました。宇宙に行くとなると大変なんですね。4月に公開された『約束の宇宙』で宇宙飛行士の訓練の様子を見て、そのハード内容に驚きましたが、本作の犬たちはその比ではない気がします。肉体的にも傷つけられ、見ているのが辛い。
そんな過去の映像と並行して映し出されるのが、現在のモスクワの野良犬たち。本能で生きている彼らの姿に恐怖すら感じる。途中、野良犬が猫を襲う。しかし、食べるのではなく、弄ぶだけ。猫がかわいそうと思った瞬間、同じことを人間は野良犬にしてきたのではないかと気づいた。(堀)
初めて宇宙旅行をした犬、ライカのことを映画の中で描いたスウェーデン映画『マイライフ・アズ・ア・ドッグ』が日本公開されたは1985年。この映画は衝撃的でした。今もあの地球軌道を周回している浮遊感と犬のシーンが目に浮かびます。実際の打ち上げは1957年のことです。すでに60年以上の時が経ちました。そして現代のモスクワ。今も野良犬は街を動きまわっている。
犬のドキュメンタリーなのに、物語がありライカの話とリンクしている不思議。まさにドキュドラマ的な作品だった。今も昔も、人間と犬の関係は変わらないということが描かれていた(暁)。
2019年/オーストリア・ドイツ/91分/カラー・モノクロ/DCP
配給:ムーリンプロダクション
公式サイト:https://moolin-production.co.jp/spacedogs/
★2021年6月12日(土)よりシアター・イメージフォーラムほか全国劇場公開
2020年07月22日
17歳のウィーン フロイト教授人生のレッスン(原題:Der Trafikant)
監督:ニコラウス・ライトナー
原作:ローベルト・ゼーターラー「キオスク」(東宣出版/酒寄進一 訳)
脚本:クラウス・リヒター ニコラウス・ライトナー
音楽:マシアス・ウェバー
出演:ジーモン・モルツェ(フランツ・フーヘル)、ブルーノ・ガンツ(ジークムント・フロイト)、ヨハネス・クリシュ(オットー)、エマ・ドログノヴァ(アネシュカ)
1937年 ナチス・ドイツが台頭してきたオーストリア。フランツはアッター湖のほとりで母親と暮らしてきた。17歳になっても仕事のない彼を心配した母親は、ウィーンに住む古い知り合いを頼るよう送り出す。元軍人のオットーが営むタバコ店(キオスク)で、住み込みの見習いとして働くことになっていた。仕事を覚える日々の中、常連のひとり“頭の医者”として知られるフロイト教授と話すようになった。田舎から来たばかりの純朴なフランツに、教授は「人生を楽しみ恋をするよう」勧める。その言葉に従って町に出たフランツは謎めいた年上のアネシュカに一目惚れしてしまう。初めての恋に戸惑うフランツに、教授はいくつか助言を与える。しかしドイツとオーストリアの併合準備が進み、小さなキオスクも激動の波に巻き込まれていく。
ドイツとオーストリアの併合は翌年3月のこと。じわじわとナチ色が浸透してきて、反対するもの、賛成するものに分かれてのいざこざやナチの弾圧も背景に見せています。そんな不穏な時代に生まれ合わせてしまったフランツの、甘くほろ苦い恋と成長の物語に、実在の人物であるフロイト教授が登場します。教授じきじきのお悩み相談とはなんと贅沢でしょう!教授の指南でフランツが書き残す夢のシーンも幻想的で素敵。
ブルーノ・ガンツは『ヒトラー 最期の12日間』(2004)でヒトラー役でした。本作では迫害を受けるユダヤ人、亡命するフロイト教授役です。その物腰もまなざしも思慮深く若者を思う優しさがにじみ出ていて、さすがです。2019年に亡くなってしまい残念ですが、この遺作は観客の心に刻まれるはず。
フランツ役のジーモン・モルツェ、ボヘミア少女のエマ・ドログノヴァはお初ですが、次の作品を期待してしまう若手。オットー役のヨハネス・クリシュはじめ、脇の方々もあの時代を背景に生きている存在感あり、オーストリア、ドイツで作られて良かったと思いました。原作者のローベルト・ゼーターラーは作家、脚本家、俳優といくつもの顔があるそうですが、エンドロールを観ていたらキャストの中にお名前があったんです。いったいどの役だったのでしょう?(白)
母親のパトロンが湖で事故死して、ウィーンのタバコ屋で働くことになったフランツ。毎日のように母親に宛てて絵葉書を書く孝行息子です。常連客の「頭の中身を治してくれる」フロイト教授。「本を読んで勉強する」というフランツに、「女の子と親しくなって好きなことをしろ」と処方します。ユダヤ人のフロイト教授とカフェに入ったときに、奥の見えない席に案内され、ひしひしとナチの力がウィーンに浸透しているのを感じます。
タバコ屋の店主オットー(ヨハネス・クリシュ)もまた、フランツを導いてくれる人物。「タバコ屋は味わいと快楽を売る店。秘密厳守」と、こっそりエロ本を売る一方、ナチ党の新聞は決して扱わない。アカもユダヤ人も大事なお客、「心の自由なくして民族の自由なし」とドアに掲げる気骨のある人物です。それ故、「ユダヤ人御用達」と烙印を押され、ついに秘密警察に連れ去られます。戦争で片足を失ったオットーの必需品である松葉杖が店に残されていて、フランツが届けに行く姿にほろりとさせられます。
ナチ・ドイツのオーストリア併合という激動の時代に、17歳のフランツがフロイトや店主との出会いによって大人へと成長していく、瑞々しい物語。
原題『Der Trafikant』は、「タバコ屋」ですが、邦題の『17歳のウィーン フロイト教授人生のレッスン』、なかなか素敵です。(咲)
2018年/オーストリア、ドイツ合作/カラー/113分/R15
配給:キノフィルムズ
© 2018 epo-film, Glory Film
http://17wien.jp/
★2020年7月24日(金・祝)Bunkamuraル・シネマほか全国公開