2023年09月01日
ヒンターラント(原題:Hinterland)
監督・脚本:ステファン・ルツォヴォツキー「ヒトラーの贋札」
撮影:ベネディクト・ノイエンフェルス
出演:ムラタン・ムスル(ペーター・ペルク)、リヴ・リサ・フリース(テレーザ・ケルナー博士)、マックス・フォン・デル・グローベン(パウル・セヴェリン)、マルク・リンパッハ(ヴィクトア・レンナー)、マルガレーテ・ティーゼル(管理人)
第一次世界大戦が終結、ロシアの捕虜収容所から帰還したオーストリアの兵士たち。ドナウ川をさかのぼり、故郷のウィーンを目指している。力尽きた者は川に捨てられた。たどり着いた故郷は敗戦のため荒廃、皇帝は国外へ逃亡し、共和国となっていた。元刑事のペーター・ペルク中尉は、帰る家も家族も失った戦友に自分の住所を渡す。戻った家は空で、長い留守の間妻は生活に追われ、田舎へ移っていた。
拷問の跡がある死体が発見された。ペーターのメモを持っていたため、警察が容疑者として連行する。その後も痛めつけられた死体が次々と見つかり、帰還兵だったことが共通していた。敏腕刑事だったペーターは捜査に協力することになる。それは自分の心の闇と向き合うことでもあった。
まるでダークファンタジーのような画面は、全編ブルーバックで撮影したのだそうです。背景が何もないところで俳優は演技をし、後で描き込まれた背景と合成するわけですね。陰惨な物語なのに、どのシーンも絵画的で美しいのです。冒頭、死にゆく若い兵士を仲間が取り囲む場面は一人一人の表情が光に浮かび上がり、レンブラントの名画”夜警”のようでした。
皇帝や国のために戦い、ロシアに抑留されて戻ったペーターは、アカと呼ばれて蔑まれます。戦友たちは帰る家がありません。消息不明の兄を探し続けるセヴェリン警部、死体を検分するテレーザ・ケルナー博士は「戦争が終わり、共和制になってから女性でも医師の仕事ができるようになった」といいます。様々な立場の人々たちの人にスポットが当たっていくにつれ、不可解な殺人事件の真相解明も進んでいきます。
「Hinterland」とは「後背地」。港湾や都市などの背後にある土地のことをいうのだそうです。この映画でのヒンターラント(後背地)とは何を指していたのでしょうか?宿題。(白)
舞台は、1918年に第一次世界大戦が終結して、2年程経った1920年頃のウィーン。
地獄のような抑留生活を耐え抜いて帰ってきた故郷は変わり果てていました。
1270年以来この地を支配してきたハプスブルク家。戦争前には、オーストリア、ハンガリー、チェコ、スロバキア、スロベニア、クロアチア、ボスニア・ヘルツェゴビナ、ウクライナの一部、ポーランドの一部を領土とする巨大な帝国となっていました。フランツ・ヨーゼフも約70年間皇帝として君臨していました。帝国が崩壊し共和国になりましたが、国土はほぼ今のオーストリアだけと大幅に縮小。超大国の威信を持って戦地に赴いた人たちにとって、生きて帰ったものの複雑な思いがあったことと思います。
東から逃げてきたユダヤ人が「イスラエル再建を」のビラを撒いていて、「彼らを養うために戦ったのか」とののしる声も聞こえ、ロマノフ王朝が崩壊しソ連となった影響も垣間見られます。
それでも、戦前から変わらないウィーンも映画に映し出されています。
『第三の男』で有名な観覧車のあるプラーター公園、白と赤の路面電車(1897年より電化車両)、シュテファン大聖堂とその脇にある大鐘プンマリン・・・
このプンマリンは、1683年にオスマン帝国軍が敗退した時に残していった大砲などの武器を溶かして鋳造したもの。トルコ人の両親のもとにウィーンで生まれた名優ムラタン・ムスルが主役ペーターとして、この大鐘のそばで殺人鬼を追い詰めるのですから、なんとも面白い!
ウィーンのカフェ文化も、オスマン帝国軍が敗退時に置いていったコーヒー豆を使って、取り残されたトルコ人がカフェを開業したのが始まりといわれています。
ジャズの生演奏を聴きながら女医のテレーザとカフェでくつろぐペーター。「戦前は、ワルツとオペレッタだけだった」と語っています。趣向は変わってもカフェ文化は健在。
それにしても、今も世界の各地で領土を巡って続く戦争・・・ 権力者の思惑で犠牲になるのは、戦争などには加担したくない庶民。むなしいです。(咲)
2021年/オーストリア、ルクセンブルク/カラー/シネスコ/99分
配給:クロックワークス
(C)FreibeuterFilm / Amour Fou Luxembourg 2021
https://klockworx-v.com/hinterland/
★2023年9月8日(金)ロードショー
2023年07月08日
大いなる自由(原題:Große Freiheit /英題:Great Freedom)
監督・脚本:セバスティアン・マイゼ
共同脚本:トーマス・ライダー
撮影監督:クリステル・フルニエ(『水の中のつぼみ』『トムボーイ』『ガールフッド』)
編集:ジョアナ・スクリンツィ
音楽:ニルス・ペッター・モルヴェル、ペーター・ブロッツマン
出演:フランツ・ロゴフスキ(『希望の灯り』『未来を乗り換えた男』)
ゲオルク・フリードリヒ、アントン・フォン・ルケ、トーマス・プレンほか
第二次世界大戦後のドイツ。男性の同性愛を禁じた刑法175条の下、ハンスは自身の性的指向を理由に繰り返し投獄される。同房の服役囚ヴィクトールは彼を嫌悪し遠ざけようとするが、腕に彫られた番号から、ハンスがナチスの強制収容所から直接刑務所に送られたことを知る。己を曲げず何度も懲罰房に入れられる「頑固者」ハンスと、長期の服役によって刑務所内での振る舞いを熟知しているヴィクトール。反発から始まった二人の関係は、長い年月を経て互いを尊重する絆へと変わっていく 。
20余年にもわたって愛する自由を求め続けたハンスの物語。ナチスが各地に作った収容所には政治犯、ユダヤ人、ロマ、障碍者、さらに同性愛者も送られていました。この2時間足らずの中に終戦後、保守派が同性愛嫌悪を助長した60年代、社会が変化していき175条が撤廃される90年代の社会が刑務所を通して描かれます。刑務所から出られず過酷な日々を送るハンスですが、ヴィクトールとの交流が親しいものになっていくことで、観客も少しホッとします。
「憲法は国民を縛るものではなく、権力を持つ人=為政者を縛るもの」と聞いたのは「憲法くん」でした。理不尽な法律がまかり通っているとき、それで誰が得をするのか考えなくては。差別の意識は社会にも個人にも根強く浸透しているように思います。まずは自分の内側を覗いてみましょう。覗いてみます。(白)
ドイツ刑法175条(1871~1994)は1871年に制定され、ナチスが台頭してから厳罰化、戦後もそのまま東西ドイツで引き継がれていたのだそうです。西ドイツでは1969年に21歳以上の男性同性愛は非犯罪化され、1994年にようやく撤廃された。約120年間に14万もの人が処罰されたといわれる。
※刑法175条は男性のみを対象としており、女性同性愛はその存在さえ否定されたことから違法と明記されていなかった。
旧東ドイツの刑務所跡で撮影された本作。同性愛者というだけで投獄された人たちの無念な思いがずっしり伝わってきました。1958年には、東ドイツで刑法改正により175条が事実上無効になり、映画の中で、「東ドイツに逃げよう。収監されない」という言葉が出てきます。東から西に逃げたい人の多かった時代にです。
映画のラスト、Marcel Mouloudjiの歌う「L'Amour, l'Amour, l'Amour」が、のびのびと響き、自由に愛せる喜びを感じさせてくれました。
一方で、今でもチェチェン共和国やイランなど、同性愛が罪とされる国があることに、理不尽な思いが募りました。(咲)
2021年カンヌ国際映画祭ある視点部⾨審査員賞受賞
2022年アカデミー賞国際⻑編映画賞オーストリア代表作品。
2021年/オーストリア、ドイツ/116分/1:1.85/カラー/R15+
配給:Bunkamura Subsidized by German Films
©2021FreibeuterFilm•Rohfilm Productions
https://greatfreedom.jp/
2023年7月7日(金)よりBunkamuraル・シネマ渋谷宮下ほか全国順次公開
2023年04月09日
マネーボーイズ(原題:金錢男孩 Moneyboys)
監督・脚本:C.B. Yi(シービー・イー)
出演:クー・チェンドン(フェイ)、クロエ・マーヤン(ルールーほか)、リン・ジェーシー(シャオライ)、バイ・ウーハン(ロン)、ザック・ルー
田舎から都会に出てきて、恋人シャオライと暮らしているフェイ。親に仕送りするために男娼の仕事をしている。親はお金は受け取るものの、同性愛者の息子を一族の恥、として認めない。ある日フェイが顧客から暴行を受けてもどってきた。激高したシャオレはその男を探して仕返しをするが、男のt手下たちに袋叩きに遭ってしまう。警察に捕まるのを恐れたフェイは逃げ出し、シャオレイの元には帰らなかった。
5年後、男娼を続けて羽振り良いフェイのもとに、自分もフェイと同じ仕事をする、と幼馴染のロンが転がり込んできた。そしてフェイは偶然シャオレイと再会する。
C.B. Yi監督は中国からオーストリアに移住し、ウイーン・フィルム・アカデミーでミヒャエル・ハネケに師事しました。これが初長編です。ゲイカップルの切ない愛情と、社会での立ち位置、人間関係の葛藤を描いています。
フェイがアパートの5階の部屋から出ていく場面は長回しで、足を引きながら階段を降り、明るい外に出ていって初めてタイトルが出てきます。そして5年後、別の街で別の人との部屋。スコープ画面に必要なものを入れても、うるさくならない画面構成が美しいです。
主演のクー・チェンドンはギデンス・コー監督の『あの頃、君を追いかけた』(2011)の高校生役の印象が残っています。ボールペンで背中をつつかれていましたっけ。はや32歳になりました。
同い年のリン・ジェーシーの俳優デビューは遅く、台湾のテレビドラマ「悪との距離」(2019)「お仕事です!~The Arc of Life~」(2021)で人気が出ました。この2本は日本でも配信で見ることができます。『3人の夫』(2018)で驚かせたクロエ・マーヤンがこの作品では3人の女性を演じています。どの人か当ててね。(白)
2021年/オーストリア、フランス、台湾、ベルギー合作/カラー/シネスコ/120分
配給:ハーク
(C) KGP Filmproduktion, Zorba, ARTE France Cinéma,Flash Forward Entertainment, La Compagnier Cinematographique&Panache Productions 2021
https://hark3.com/archives/1872
★2023年4月14日(金)より全国順次公開
2022年05月01日
スージーQ 原題:Suzi Q
2022年5月6日より全国順次公開 公開劇場情報
アメリカの1960年代以降の音楽、フォーク、カントリー、ロックなどの分野を代表する歌い手を紹介する「極上のロック・ドキュメンタリー ROCKUMENTARY2022」の3本が公開され、その第一弾として『リンダ・ロンシュタット サウンド・オブ・マイ・ヴォイス』が公開されている。そしてあとの2本が『スージーQ』と『ローレル・キャニオン 夢のウェストコースト・ロック』。それでは『スージーQ』を紹介します。
女性ロックシンガーの草分けスージー・クアトロ
道を切り拓いたのは彼女だった
監督・製作:リーアム・ファーメイジャー
製作:テイト・ブレイディ
編集:サラ・エドワーズ
撮影:ジャック・イートン、ジェームズ・ナトール、デヴィッド・リチャードソン
出演:スージー・クアトロ、アリス・クーパー、ジョーン・ジェット、デボラ・ハリー、シェリー・カーリー、リタ・フォード、
黒レザーのジャンプスーツ。レザーのスーツ姿で仁王立ちするジャケット写真は、“スージー・クアトロ”の代名詞とも言える。小柄な体で大きなベースを弾きながらしゃがれ声でシャウトするスージーQことスージー・クアトロ。キュートな姿でバックバンドの男たちを率いて歌う姿がとても神々しい。そこに至るまでの彼女のエネルギッシュな半生を描いたドキュメンタリー。
70歳を超えてもなお現役で活躍する女性ロックシンガーの草分け的存在であるスージー・クアトロは、車の町アメリカ・デトロイトに生まれ、音楽一家に育ち、60年代に姉妹で結成した「プレジャー・シーカーズ」というバンドを作り地元で活躍していた。しかし、スージーだけがメジャーに引き抜かれ、イギリスに渡ってデビューする話が出て、迷った末、その道を進むことになった。ロンドンでの成功。しかし、そのことが家族との確執を生む。成功しながらも苦しい時代を過ごす。そして、イギリスでは活躍していたものの、アメリカでの成功はなかなか難しかった。女性ロックンローラー誕生の真実に迫る。
多くの女性に影響を与えた彼女の魅力。彼女を追ってロッカーになった女性たち、スージーを崇拝するジョーン・ジェットや、デボラ・ハリー、 シェリー・カーリー、スージーと共にツアーに同行したアリス・クーパー等、女性ロッカー総出演で、彼女の音楽を語る。そして、周りのバンドメンバーや、音楽関係者、そして家族が彼女を語る。
女性ロック歌手の草分け的存在として1970年代に一世風靡したスージー・クアトロということだけど、私自身はこの3本のシリーズの中で、スージー・クアトロは名前しか知らなかった。私はロック系のがなり立てるような歌い方とかエレキギターの音が好きではなかったので、自分から聴いてみようとはしていなかった。ただ、ラジオや街中で流れていた音楽は自然に入ってくるので、知らずに聴いていたということは多々あった。ベースを弾きながらバックバンドを従えて歌うスージーQの姿を観て、どこかで見たことあったかもと思ったし、70を越えた今もロックしている姿を観て、かっこいい!! 素晴らしい!!と思った。
このドキュメンタリ―を観て、彼女の黒いレザーのジャンプスーツの姿やベースギターをかき鳴らす姿を見て、そういえばこういう写真や映像は見たことあったなと思った。でもこの人がスージーQだとは認識していなかった。そしてYouTubeで検索してみたら、「ワイルド・ワン」や「キャン・ザ・キャン」、「メロウなふたり(Stumblin' In)」「悪魔とドライブ(Devil Gate Drive)」など聴いたことがあったと思った。
彼女はデトロイト出身だったけど、成功したのはイギリスはヨーロッパ。そしてオーストラリアや日本でも活躍したけど、アメリカではなかなかヒットが生まれなかったというけど、それは彼女にとってはつらいことだったのではないだろうか。
スージーはアメリカ人にしては小柄な女性のよう。大きなベースギターを弾く姿を観て、身体の割に大きすぎて弾きにくそうと思ったし、かなり下の位置で弾いている姿を観て、この位置で弾きやすいのだろうかとも思った。私自身小柄で、ギターを弾く時にストラップを一番短くしても長く、とても弾きずらかったのを思いだした。彼女はそうは感じていないのだろうか。あるいは慣れてしまえば、そうは思わないのか。そんなことも思った。でもYouTubeを見ていたら、そういうギターばかり使っているわけでもなさそうだから、臨機応変に使っているのかな。
余談だけど、この映画の中に、スージーQに憧れてロックアーティストになったというジョーン・ジェットが出てきたけど、私は彼女が話している姿を初めて見た。私自身はジョーン・ジェットのことは、香港の映画俳優&歌手である劉徳華(アンディ・ラウ)の歌う「我恨我痴心」という歌の元歌がジョーン・ジェットの「I Hate Myself for Loving You」ということを知った1994年から知っていたのだけど、彼女が歌う「I Hate Myself for Loving You」の映像を見たのは、今回YouTubeで検索していて出てきたので初めて見た。アンディの「我恨我痴心」は1994年、香港でのアンディのコンサートで見てとても気になり、CDやコンサートDVDなどで見ていたのだけど、その頃はYouTubeなんてないし、元歌は音しか聴けなかった。
今回、こういうのも含めて、50年近い前の映像もたくさんあって、今やそれをYouTubeなどで見ることができるということを知り、楽しみが増えた。でもYouTubeを見始めると際限がない。関連歌手や歌が次から次へと出てきてついつい見続けてしまう。スージーQもたくさんYouTubeでたくさん見た。大関のCMにも出ていたということも知った(笑)。こんなのも載っているんだね(暁)。
公式HP https://unpfilm.com/rockumentary2022/
提供:ジェットリンク
2019年製作/104分/オーストラリア
配給:アンプラグド
アメリカの1960年代以降の音楽、フォーク、カントリー、ロックなどの分野を代表する歌い手を紹介する「極上のロック・ドキュメンタリー ROCKUMENTARY2022」の3本が公開され、その第一弾として『リンダ・ロンシュタット サウンド・オブ・マイ・ヴォイス』が公開されている。そしてあとの2本が『スージーQ』と『ローレル・キャニオン 夢のウェストコースト・ロック』。それでは『スージーQ』を紹介します。
女性ロックシンガーの草分けスージー・クアトロ
道を切り拓いたのは彼女だった
監督・製作:リーアム・ファーメイジャー
製作:テイト・ブレイディ
編集:サラ・エドワーズ
撮影:ジャック・イートン、ジェームズ・ナトール、デヴィッド・リチャードソン
出演:スージー・クアトロ、アリス・クーパー、ジョーン・ジェット、デボラ・ハリー、シェリー・カーリー、リタ・フォード、
黒レザーのジャンプスーツ。レザーのスーツ姿で仁王立ちするジャケット写真は、“スージー・クアトロ”の代名詞とも言える。小柄な体で大きなベースを弾きながらしゃがれ声でシャウトするスージーQことスージー・クアトロ。キュートな姿でバックバンドの男たちを率いて歌う姿がとても神々しい。そこに至るまでの彼女のエネルギッシュな半生を描いたドキュメンタリー。
70歳を超えてもなお現役で活躍する女性ロックシンガーの草分け的存在であるスージー・クアトロは、車の町アメリカ・デトロイトに生まれ、音楽一家に育ち、60年代に姉妹で結成した「プレジャー・シーカーズ」というバンドを作り地元で活躍していた。しかし、スージーだけがメジャーに引き抜かれ、イギリスに渡ってデビューする話が出て、迷った末、その道を進むことになった。ロンドンでの成功。しかし、そのことが家族との確執を生む。成功しながらも苦しい時代を過ごす。そして、イギリスでは活躍していたものの、アメリカでの成功はなかなか難しかった。女性ロックンローラー誕生の真実に迫る。
多くの女性に影響を与えた彼女の魅力。彼女を追ってロッカーになった女性たち、スージーを崇拝するジョーン・ジェットや、デボラ・ハリー、 シェリー・カーリー、スージーと共にツアーに同行したアリス・クーパー等、女性ロッカー総出演で、彼女の音楽を語る。そして、周りのバンドメンバーや、音楽関係者、そして家族が彼女を語る。
女性ロック歌手の草分け的存在として1970年代に一世風靡したスージー・クアトロということだけど、私自身はこの3本のシリーズの中で、スージー・クアトロは名前しか知らなかった。私はロック系のがなり立てるような歌い方とかエレキギターの音が好きではなかったので、自分から聴いてみようとはしていなかった。ただ、ラジオや街中で流れていた音楽は自然に入ってくるので、知らずに聴いていたということは多々あった。ベースを弾きながらバックバンドを従えて歌うスージーQの姿を観て、どこかで見たことあったかもと思ったし、70を越えた今もロックしている姿を観て、かっこいい!! 素晴らしい!!と思った。
このドキュメンタリ―を観て、彼女の黒いレザーのジャンプスーツの姿やベースギターをかき鳴らす姿を見て、そういえばこういう写真や映像は見たことあったなと思った。でもこの人がスージーQだとは認識していなかった。そしてYouTubeで検索してみたら、「ワイルド・ワン」や「キャン・ザ・キャン」、「メロウなふたり(Stumblin' In)」「悪魔とドライブ(Devil Gate Drive)」など聴いたことがあったと思った。
彼女はデトロイト出身だったけど、成功したのはイギリスはヨーロッパ。そしてオーストラリアや日本でも活躍したけど、アメリカではなかなかヒットが生まれなかったというけど、それは彼女にとってはつらいことだったのではないだろうか。
スージーはアメリカ人にしては小柄な女性のよう。大きなベースギターを弾く姿を観て、身体の割に大きすぎて弾きにくそうと思ったし、かなり下の位置で弾いている姿を観て、この位置で弾きやすいのだろうかとも思った。私自身小柄で、ギターを弾く時にストラップを一番短くしても長く、とても弾きずらかったのを思いだした。彼女はそうは感じていないのだろうか。あるいは慣れてしまえば、そうは思わないのか。そんなことも思った。でもYouTubeを見ていたら、そういうギターばかり使っているわけでもなさそうだから、臨機応変に使っているのかな。
余談だけど、この映画の中に、スージーQに憧れてロックアーティストになったというジョーン・ジェットが出てきたけど、私は彼女が話している姿を初めて見た。私自身はジョーン・ジェットのことは、香港の映画俳優&歌手である劉徳華(アンディ・ラウ)の歌う「我恨我痴心」という歌の元歌がジョーン・ジェットの「I Hate Myself for Loving You」ということを知った1994年から知っていたのだけど、彼女が歌う「I Hate Myself for Loving You」の映像を見たのは、今回YouTubeで検索していて出てきたので初めて見た。アンディの「我恨我痴心」は1994年、香港でのアンディのコンサートで見てとても気になり、CDやコンサートDVDなどで見ていたのだけど、その頃はYouTubeなんてないし、元歌は音しか聴けなかった。
今回、こういうのも含めて、50年近い前の映像もたくさんあって、今やそれをYouTubeなどで見ることができるということを知り、楽しみが増えた。でもYouTubeを見始めると際限がない。関連歌手や歌が次から次へと出てきてついつい見続けてしまう。スージーQもたくさんYouTubeでたくさん見た。大関のCMにも出ていたということも知った(笑)。こんなのも載っているんだね(暁)。
公式HP https://unpfilm.com/rockumentary2022/
提供:ジェットリンク
2019年製作/104分/オーストラリア
配給:アンプラグド
2022年02月06日
オーストリアからオーストラリアへ ふたりの自転車大冒険 原題:Austria2Australia
監督・脚本・撮影・編集:アンドレアス・ブチウマンとドミニク・ボヒス
監修 :マルティナ・アイヒホルン
最終編集:イネス・ヴェーバー
プロデューサー:ヨーゼフ・アイヒホルツァー
オーストリアでIT企業に勤める青年アンドレアス・ブチウマンとドミニク・ボヒスは、大学時代からの友人。二人はオーストリアからオーストラリアまで自転車で走破する旅に出る。海路を除いてその距離 18,000km、訪問国 19 か国、期間にして 11 か月!
ふたりを突き動かしたのは「限界に挑戦したい」というシンプルな情熱と好奇心。
本作は、自転車に積み込んだ小型カメラ2台と、GoPro(ゴープロ)のカメラにドローンで撮った旅の記録。
自転車で冒険旅行に出ると決めた二人。地図を手に取り、いちばん下の右端にあるオーストラリアを目的地に決め、ビザ発行があまり面倒でなさそうな国を通る計画を立てたとのこと。
オーストリアのリンツを出て、東欧などを経由してロシアに入るまでは、毎日、寝場所を探し、食料や水の調達をするのに精一杯であまり映像がありません。ようやく余裕が出来たのかモスクワの赤の広場が映し出されますが、ロシアではビザの有効期間 30 日の間に2500 キロを走破しなくてはならず、地元の人と交流する時間もなかった模様。


ロシアからカザフスタンに入ったとたん、知り合った運転手さんの家に招かれ、ご馳走を振舞われ、さらに結婚式にも参加と、イスラーム世界あるあるのおもてなしがさっそく展開。キルギスや中国のカシュガルでも中央アジア風のムスリムのおもてなし。
カシュガルには、1990年代に行ったことがあるのですが、すでに漢民族がじわじわと入ってきていました。ここ数年、ウィグルの人たちの文化が蹂躙されている報道が続いていますが、この映画にはウィグルの人たちの活気ある姿が映し出されていて、もしかしたら貴重な記録になるのではと思ってしまいました。

次に入ったパキスタンでは、パトカーがすぐ後ろに密着してついてきて、ウザイし怖いと、なんとかまくのですが、また警官たちが現れて、実は心配して見守ってくれていたのだとわかります。その夜は、警官たちはじめ大勢の男の人たちと太鼓と手拍子で踊るというお酒抜きの宴が続きました。私もパキスタンでは町を散策していた時に、好奇心いっぱいの人たちに取り囲まれた経験があるので、これまたあるあるの世界だなぁ~と。

(C)Aichholzer Film / Dominik Bochis / Andreas Buciuman
インドに入り、アムリトサルにあるシク教の黄金寺院で、振舞い料理をいただく場面が出てきました。『聖者たちの食卓』(2011年/ベルギー 監督:フィリップ・ウィチュス、ヴァレリー・ベルト)を思い出しました。
ネパールにも行き、その後、ミャンマーのビザが取れず仕方なく飛行機でタイへ。マレーシア経由シンガポールまで走り、飛行機でオーストラリアのパースへ。そこで旅は終わらず、さらに東のブリスベーンまで。 後半は(暁)さんに詳細は譲りますが、途中でやめたくなる苦労もあった自転車の旅。やり遂げた時の爽快感(と脱力感も?)が観ている私たちにも伝わってきました。そも、自転車に乗れないので、とても真似はできませんが、見知らぬ土地の人たちと交流しながらの旅に、いつかまた出たくなりました。コロナがうらめしいです・・・ (咲)
恐らくアンドレアスとドミニクは自転車での旅がここまでハードなものになるとは思っていなかったのではないだろうか。作品の前半は軽口をたたく余裕もあったけれど、次第に自分の決断に迷いが生じてくる。そんな姿もしっかり映し出しているので、2人に感情移入し、他人事には思えなくなってしまう。旅行中にすでにFacebookを通じて発信していたことから、旅先で声を掛けられる場面があり、リアルタイムで知らなかった自分が残念に思えてきた。この旅をやり遂げたアンドレアスとドミニクは今、どんな生活をしているのだろう。もし、また自転車でどこかに行くようなことがあったら、Facebookで追いかけてみたい。(堀)
本当はスタッフ日記のほうに書く予定だったのだけど、もう公開が始まってしまうので、こちらの作品紹介に映画を観ての感想や思ったことを記します。
まずタイトルに惹かれました(笑)。「オーストリア」と「オーストラリア」、昔から紛らわしいと思っていました。オーストリアとオーストラリア、どっちなの?ということ、何度もありました。このオーストリア在住の若者たちがオーストラリアに向けて自転車で旅をする、これは面白そうと思いました。
ヨーロッパからロシアに向けての最初は雨が多かったようですが、ロシアを通り抜けカザフスタンに入ってからのからっとした草原の景色を見てほっとしました。11か月にも渡る旅の間、いろいろな人と出会い、二人の関係もぎくしゃくした時もあったようだし、アクシデントも何回も。自転車が壊れたこともありました。でも目標のオーストラリアに向かって走り続けました。その姿がすがすがしかった。パキスタンの部分の詳細は(咲)さんのところに詳しく書かれているけど、最後警官の人たちとの宴会では、思わず大笑いしてしまいました。喧噪のインド、ヒマラヤやカラコルムの山々を眺めながら走り、そしてネパール、マレーシア、シンガポールへ。このアジアの景色は、けっこう映画などで観て来た景色ではあるものの、思わず懐かしくてほっこりしてしまいました。
シンガポールからオーストラリアには飛行機で入国し、オーストラリアの西から東へ横断したものの、入り口の「パース」という地名は語られず。HPの地図にも載っていません。とても残念。なぜこだわるかというと、私が初めて海外旅行に行ったのは1990年でパースでした。そこに移住した友人を訪ねて、友人3人で訪ねました。なのでパースからのこの二人の自転車の旅は、その時のことを思い出させてくれました。舗装された道路の横は大地の赤い土の色がずっと続いていたのですが、同じようにそれが映されていました。まっかな大地の色にびっくりしたことを覚えています。そして二人が通った砂漠の砂の色が真っ白でびっくりしました。映画を観終わってから、ふと数日前にTVで見た「NHK ブラタモリ」の「南紀白浜」の回で、「白浜の白い砂はオーストラリアから輸入したものがある」と言っていたのを思いだしました。もしかしたら、この砂漠の砂かもと思って調べてみたら、たぶんそのようでした。それほど印象的な真っ白な砂漠が続いていました。そしてたどりついた最終目的地ビリズベン。ちなみにそのパースに移住した友人はオーストラリアに帰るオーストラリア人と一緒に行ったのですが、この二人とは逆に、東のシドニーからパースへ(つまり東から西へ)車で約6000㎞移動したそうです。途中たくさんの野生のカンガルーにも会ったと言っていました。
それにしても自転車でこの旅を続けるという、難しいけど素晴らしい冒険旅行。そしてそれを記録し映画にしたということは、撮影機材が小型化したこの時代だからできたことだし、この新型コロナが広がる前だからできたこと。絶妙なタイミングだったということですね。映画公開という意味ではこのくらいの長さがいいのかもしれませんが、通った土地の映像がもう少しある長いバージョンも観てみたいな(暁)。
写真クレジット © Aichholzer Film 2020
2020 年/オーストリア/ドイツ語/カラー/デジタル/16:9/88 分
日本版字幕:吉川美奈子
© Aichholzer Film 2020
日本公開後援:オーストリア大使館/オーストリア文化フォーラム
公益財団法人日本サイクリング協会
提供・配給:パンドラ
公式サイト:http://www.pan-dora.co.jp/austria2australia/
★2022年2月11日(金祝)ヒューマントラストシネマ有楽町&アップリンク吉祥寺他全国順次公開‼