6/14(土)〜 ユーロスペース他 劇場情報
監督:羅苡珊(ルオ・イーシャン)
プロデューサー:チェン・ヨンシュアン、ジュオ・ヅーラン、ルオ・イシャ
共同プロデューサー:藤岡朝子、チェン・ウェンウェン
公式HP https://yukidokenoato.com/
台湾、日本 / 2024 / 110分
企画・提供:ドキュメンタリー・ドリームセンター
配給:配給:テレザ
愛と死、その痛みを描いた物語
三人の青春、二つの旅、美しくも容赦ない山々
ジェンダー・アイデンティティ
2017年4月26日、ネパールの山中で遭難した二人が、47日目に発見された。一人は救助され、一人は発見される三日前に亡くなっていた。そのニュースは彼らの出身地台湾でセンセーショナルに報じられた。19歳で亡くなったチュンと、生き残ったユエ。本作の監督ルオ・イシャンは本来なら二人と同行する予定だったが、体調を崩し離れていた。高校時代からの親友で憧れの存在でもあったチュンの死。ネパールをトレッキングしていた二人は大雪に遭い、岩の間にある洞窟に避難。チュンは40日を超す洞窟でのビバークで、イシャンへの手紙や人生に対する賛歌を数百ページにもわたって書き記していた。
その記録は、残されたイシャンと、生き延びたユエを苦しめた。しかし、次に踏み出すため、そして、彼女を追悼するため、二人はドキュメンタリー映画を作り始めたが、ユエは次第に身を引いていったので、チュンの思いを辿り、イシャンは一人、チュンの見た風景と足跡を追うためにネパールに旅立った。
残されたものたちの喪失と祈りにも似た追悼山行。死と再生の狭間で描く、台湾の新鋭ルオ・イシャンによる山岳ドキュメンタリー。
2017年の事故から7年後に本作は完成し、本国・台湾では2024年に公開された。インディペンデントなドキュメンタリー作品にもかかわらず口コミで広がっった。台湾金馬奨にもノミネート。人を愛すること、その人の死を悼むことを描いた本作に、若者層を中心に静かな感動と共感が拡がっていった。世界各地の映画祭でも深い感動を呼んだ。「自身の内なる旅路と感情の波乱を冷静で鋭い眼差しでたどっていく」「美しくありながらも胸をえぐるような痛みを伴う映画。深い喪失へのオマージュ」と絶賛。イタリアのトレント山岳映画祭、サンフランシスコのLGBTQ+映画祭を含む世界の20を超える映画祭に参加、ジェンダーと山をテーマにした本作のユニークさが実証された。
HPより
高校を卒業して間もない三人の若者は、崇高な山々と旅の解放感に惹かれていた。大いなる自然は、チュンの性自認を認めない女子高の規範からの自由を与えてくれた。それは無限に続くはずの青春だった。「この映画は、生き残った者として語り継ぐ約束を果たしたいという願いから生まれた」というルオ・イシャン監督は、映画に先んじてユエら友人たちとチュンの残した原稿を編集し『我所告訴你關於那座山的一切(あの山について君に話したこと)』(春山出版刊)を出版。2020年台湾文学賞金賞受賞、7回増刷。チュンの詩や随筆は、台湾のネイチャー・ライティングを代表する新人作家としての存在を文学界に刻印した。一部は映画で引用されている
監督・撮影・製作
ルオ・イシャン羅苡珊/LO Yi-Shan
1996年台湾生まれ。国立台湾大学に歴史学の学士号を取得。現代文学、文化人類学、社会科学に影響を受け、大学時代からフリーランスのライター、映画評論家として活動。10代の頃から、台湾の亜熱帯の山森にみられる人間と人間でないものが絡み合いながら共存するあり様に魅了されてきた。大自然の美しさ、残酷さ、複雑さを、独自の視点から伝えることが映画制作の動機となっている。人間と自然の関係に加え、グローバリゼーション、ポストコロニアリズム、ディアスポラの問題にも関心が深い。『雪解けのあと』は初の長編ドキュメンタリー作品となる。
監督より
『雪解けのあと』は、私にとって初の長編ドキュメンタリーです。この作品は、愛する人の死に取りつかれ、大自然と山々の中で生きることの意味を模索する二人の若者の姿を追う、友情と喪失をテーマにした東洋人の物語です。ジェンダーやアイデンティティの葛藤を描いてもいますが、この葛藤は世代や国籍を超えて人々に共通するものだと思います。
制作・編集の期間に日本から多大な支援をいただきました。特に、後に本作の共同プロデューサーとなった藤岡朝子さんが大蔵村肘折温泉で主催する山形ドキュメンタリー道場のインパクトは大きかったです。息を呑むような雪山に囲まれた、静かな集落を毎日歩いた滞在経験は、この映画のエッセンスに大きな影響を与えました。日本でこの映画を紹介することをとても楽しみにしています。
去年(2024)の東京フィルメックスで観た時、3人の関係や、チュンが女性なのか男性なのか、最初、わからなかった。字幕に「彼」と出てきたりしたので、ちょっと混乱した。中国語では彼も彼女も「ター」というので間違えたのかもしれないと思ったりしたけど、チュンは男性になりたかった女性で、女子高で男性風な服装を注意されたりして葛藤があったということも知った。
大雪で47日も閉じ込められてしまったけど生きていたというのはすごい。チュンにしても40日以上生きていたのだから。すごい生命力。
それにしても、高校を卒業してすぐ、19歳でヒマラヤレッキングに行くとは驚きだった。どうやってお金を貯めて行ったんだろう。日本の山好きからするとヒマラヤトレッキングは、かなりお金がかかるというイメージなんだけど、登山ではなくトレッキングだと、そんなにお金がかからず行けるのだろうか。そんなことなら、私も若い頃に行ってみたかったなと思いながら観ていた。
「制作・編集の期間に肘折温泉の山形ドキュメンタリー道場に行き多大な支援を受けた」と書かれていたけど、私も肘折温泉が気になっていて、2023年の山形国際ドキュメンタリー映画祭に行った時、上映されていたドキュメンタリー『雪の肘折温泉』を観たし、映画祭が終わったあと肘折温泉の「若松屋 村井六助」という旅館に泊まった。実は2017年の山形国際ドキュメンタリー映画祭の打ち上げの時、この映画祭にボランティアで参加しているというこの旅館の方と出会い、いつか行ってみたいと伝えていたのです。でもこの時会った方は、旅館をやっている家の家族の方だったようですが、それでも、この古い温泉街に行けて良かった。昔ながらの旅館、朝市など、懐かしい光景がありました。山形ドキュメンタリー道場に参加する人たちは、この旅館街のホテルに泊まりながら研鑽されるようです、監督も2023年頃のドキュメンタリー道場に参加されたのかもしれません(暁)。
2025年06月27日
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