2024年12月15日
私の想う国 原題:MI PAIS IMAGINARIO 英題:My Imaginary Country
監督:パトリシオ・グスマン(『チリの闘い』『光のノスタルジア』『真珠のボタン』)
1973年の軍事クーデターでピノチェト政権成立後、キューバに亡命し、現在パリに住むグスマン監督。
50年を過ぎて目の当たりにしたリーダーもイデオロギーもない新たな女性中心の社会運動の記録。
2019年、突然チリのサンティアゴで民主化運動が動きだした。その口火となったのは、首都サンティアゴで地下鉄料金の値上げ反対がきっかけだった。その運動は、リーダーもイデオロギーもなく、爆発的なうねりとなり、チリの保守的・家父長的な社会構造を大きく揺るがした。運動の主流となったのは、若者と女性たちだった。150万の人々が、より尊厳のある生活を求め、警察と放水車に向かってデモを行ったのだった。
それは2021年36歳という世界で最も若いガブリエル・ボリッチ大統領誕生に結実する・・・
1973年9月11日、軍事クーデターでピノチェト政権が成立し、アジェンデ派は徹底的に弾圧された。その過程を追ったドキュメンタリー『チリの闘い』を撮影後、パリに亡命したパトリシオ・グスマン監督。
その後、チリ弾圧の歴史を描いた 3 部作『光のノスタルジア』『真珠のボタン』『夢のアンデス』を放ったグスマン監督。これらの作品から、虐げられ悲惨なチリの人たちのことを知ることができました。
グスマン監督が故国を離れて50年が過ぎ、よもやの突然の民主化運動。
それは、地下鉄が30ペソ値上げすることに端を発した抗議運動でした。鍋を叩き抗議する女性たち。まさに押さえつけられた気持ちが爆発したのを感じさせられました。
家父長制に異を唱える4人の女性詩人たち、先住民族のマプチェ女性として初めて重要な政治的地位についたエリサ・ロンコンをはじめ、監督自ら女性たちにインタビュー。かつて想い描いた国が実現することを願う気持ちに溢れた1作。
『夢のアンデス』で、「2度と祖国で暮らすことはない」と話していたグスマン監督。余生はチリで過ごすことができるのでしょうか・・・ (咲)
チリで2019年にあのような激しい運動があったとは。そして、その後、あのような展開をするとは思ってもいませんでした。その後の展開はどうなのでしょう。少し進んだ民主化は圧力なく進んでいるのでしょうか。気になります。
1973年、ピノチェト将軍による軍事クーデターはアジェンデ社会主義政権を倒し、独裁体制に。当時、選挙で合法的に選ばれた政権を武力で倒し、アジェンデの人民連合派に対する軍部の迫害の激しさに世界各国から非難の声があがり、国際的な非難もされた。その後のチリの状況には詳しくないけど、1988年の大統領選挙でピノチェトが民主政党連合の候補者に敗れ、ようやく1990年に民政移管が実現し、16年半にわたる軍事独裁政治が終わったとなっていましたが、市民の生活はどうだったのでしょう。ピノチェトは2006年に91歳で亡くなったそうだけど、国葬するかどうか国民投票があり、55%の人が反対し国葬にはならなかったそう。国民投票もなく政府が国葬を決めてしまったどこかの国とは違った。
実は、私はあの年(2019年)の3月にチリのサンティアゴにいた。ピースボートで世界一周の旅の途中、右肩脱臼をしてしまい、日本に帰らなくてはならなくなり、船が停泊していたチリの港バルパライソからサンティアゴまでタクシーで空港に向かって走りました。乾いた大地の中をずっと走り約1時間、やっと着いた都市がサンティアゴでした。ほんの一瞬、通っただけの街でしたが、その時はこういうようなことが起こるとは思ってもみませんでした。
香港でも雨傘革命があり、道路を占拠するという事態になりました。緊急事態というのは、どこの国にでも起こりうることなんだろうと思います。私はその道路占拠が排除された3か月後くらいに香港に行き、その場所にも行きました。ニュースや映画で見た道路の占拠光景はあとかたもなく、元の道路に戻っていて、なにごともなかったように車が行き来していました。しばらくそこにたたずみ、雨傘革命とそれに参加した人たちのことを思いました。それにしても、自分が行ったことがあるところで、その国を揺るがすような事態が起こっていたというのは、よけい感慨深いものがあります(暁)。
2022 年/チリ・フランス/83 分/スペイン語 /5.1ch/1:1.85
日本語字幕:比嘉世津子
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