2024年06月29日
リッチランド 原題:Richland
監督:アイリーン・ルスティック
原爆を作ったアメリカの町の過去と現在を描くドキュメンタリー映画
ワシントン州南部にあるリッチランド。ここは、1942年からのマンハッタン計画における核燃料生産拠点「ハンフォード・サイト」で働く人々とその家族が生活するために作られたベッドタウン。1945年8月9日、長崎に落とされた「ファットマン」のプルトニウムはハンフォード・サイトで精製されたものだった。終戦後は冷戦時に数多く作られた核兵器の原料生産も担い、稼働終了した現在はマンハッタン計画に関連する研究施設群として国立歴史公園に指定され、アメリカの栄光の歴史を垣間見ようと多くの観光客が訪れている。
© 2023 KOMSOMOL FILMS LLC
地元高校のフットボールチームのトレードマークは“キノコ雲”と“B29爆撃機”、チーム名は「リッチランド・ボマーズ」。「原爆は戦争の早期終結を促した」と誇りに思っている人々がいる一方で、多くの人を殺戮した原爆に関わったことに胸を痛める人もいる。
様々な声が行き交う中で、被爆3世であるアーティスト・川野ゆきよがリッチランドを訪れ、町の人々との対話を試みるが...
核燃料生産拠点ハンフォード・サイトやリッチランドは、何もなかった草原にできたわけではなく、先住民が代々暮らしてきた土地でした。米軍がやってきて、「土地を使わせてもらう。長い間じゃない」と先住民は言われ、結局、汚染された土地に戻れずにいるのです。その地には、先住民の生活になくてはならない資源もあったのに。
ハンフォード・サイトで働く人たち自体、放射能汚染の危険をまったく知らされていませんでした。「あの雲は誇り」「この土地を誇れ」と偉業を成したことを教え込まれたのです。偉業の恐ろしさは隠して。 防護服も着ずに家族のために仕事にまい進していた人たちの多くが癌で命を落としています。終戦直後、乳児や新生児が亡くなることも相次ぎ、小さなお墓が並んでいることに言葉を失います。
リッチランドで育ち、ハンフォードで土木技師として働いたキャスリン・フレニケンの詩集「プルーム」より、いくつかの詩が引用されて詠まれます。プルトニウムは安全だとしてきたアメリカ政府の裏切りや、放射能に侵された人々への思いが静かに伝わってきました。(咲)
アイリーン・ルスティック
監督・製作・編集
フェミニスト映画作家、アーカイブ研究者、アマチュア裁縫家。英国生まれボストン育ちの米国人1世であり、両親はチャウシェスク政権下のルーマニアを政治亡命者として逃れてきた。『リッチランド』以前にも3作の長編を制作。カリフォルニア大学サンタクルーズ校で、映画およびデジタルメディア学教授として映画制作を教える。
2023年/アメリカ/93 分/カラー/5.1ch/DCP
字幕:佐藤まな
製作:コムソモール・フィルムズ
宣伝:テレザ/配給:ノンデライコ
公式サイト:https://richland-movie.com/
★2024年7月6日(土)よりシアター・イメージフォーラムほか全国順次公開
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