2023年02月25日
マイヤ・イソラ 旅から生まれるデザイン (原題:Maija Isola Master of Colour and Form)
監督・脚本・撮影:レーナ・キルペライネン
出演:マイヤ・イソラ、クリスティーナ・イソラ、エンマ・イソラ
フィンランド南部リーヒマキ、アロランミ。1927年、マイヤは農家の3人娘の末っ子として生まれた。13歳から家を出て一人暮らしとなり、厳しい戦時下を生き抜いた。45年、17歳年上の商業芸術家ゲオルグ・レアンデリン(ヨック)と結婚し、翌年19歳で娘クリスティーナを出産。ヨックとは共に暮らすこともなく離婚し、シングルマザーとなる。母に娘を預け、マイヤはヘルシンキの芸術大学へ進学。娘に手紙を送り続ける。
壺をデザインしたファブリックを大学のコンテストに出品すると、マリメッコの前身であるプリンテックス社を立ち上げたアルミ・ラティアの目に止まる。(マリメッコの創業は1951年)一つ所に長くとどまらず、旅するように自由に生きて多くのデザインと絵を残したマイヤ・イソラのドキュメンタリー。
マイヤ・イソラを知らなくても、マリメッコのアイコン、Unikko ウニッコ(ポピー)の赤い花は知っているでしょう。3度結婚して3度離婚した恋多き女性でもあった彼女は、38年間でマリメッコに500以上のデザインを提供しています。
強い印象を残す多彩なデザイン、アーカイブ写真と映像、家族に送った手紙や残された日記、娘のクリスティーナの証言などから、マイヤの創作や人生にせまります。
ところどころに挿入されるアニメーションと軽やかな音楽は、デザインの成り立ちも想像できる楽しさ。次々と登場する大胆なデザインのファブリックを見ていると、小さく凝り固まっていた心がほどけていくような気分になります。(白)
レーナ・キルペライネン監督(写真上)は、アーカイブ資料や家族写真、娘の証言などを丁寧に紡いで、世界中を旅しながら、自由な心で仕事を続けたマイヤ・イソラの人生を描き出しています。監督は、「マイヤ・イソラがデザインしたカーテンが子供の頃から家にあって、マイヤ・イソラのファブリックは、私の人生の一部」と語っていて、それが本作製作の動機の一つでした。私も、マリメッコの花柄が大好きで、よく表参道のお店を覗いたものです。新しい家に引っ越した時に、ちょっと値段は高かったのですが思い切ってマリメッコでカーテンを新調しました。そんな次第で、ウニッコ(ポピー)のデザインを生み出したマイヤ・イソラに興味津々。自由を求めて、よく旅に出たマイヤですが、思いもかけず北アフリカと深い繋がりがあって、イスラーム文化圏に興味のある私にとって、マイヤ・イソラは一層身近に感じる人物になりました。
二人目の画家だった夫と一緒に、スペインからモロッコへ。アラブ人やベルベル人の文化に親しんでいます。1959年に3度目の結婚をしますが、1970年に離婚。その後、年下のエジプト人で舞台俳優のアハメドと恋に落ち、恋が作品にも影響。マルセイユからアルジェリアに船で渡り、楽園のようなところと気に入り長期滞在。気象学者のモハメドと出会います。「アラブの生活はシンプル。物事を難しく考えない人には打ってつけ」と手紙にしたためています。在留許可更新のため、3か月毎にパリに戻り、その間にマリメッコの仕事もこなし、絵の道具を買い込んで帰るという暮らし。モハメドとは破局し、その後、大学講師となったアハメドと再会しアメリカへ・・・と、 マイヤ・イソラの行動範囲はさらに広がりますが、最後は、フィンランドに戻り余生をおくっています。多くのファブリックデザインや絵を描きながら、3度の結婚、そしてアルジェリアやエジプトの男性と年齢差を越えた恋をしたマイヤ・イソラの人生、素敵すぎます。(咲)
2021年/フィンランド・ドイツ合作/カラー、モノクロ/ビスタ/100分
配給:シンカ、kinologue
後援:フィンランド大使館
(C)2021 Greenlit Productions and New Docs
https://maija-isola.kinologue.com/
★2023年3月3日(金)ロードショー
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