2022年11月20日
シスター 夏のわかれ道 原題:我的姐姐
監督:イン・ルオシン (殷若昕)
脚本:ヨウ・シャオイン(游暁頴)
主題歌:「Sister」 ワン・ユエン(王源)
出演:チャン・ツィフォン(張子楓)、シャオ・ヤン(肖央)、ジュー・ユエンユエン(朱媛媛)、ダレン・キム(金遥源)
四川省成都。看護師として病院で働くアン・ラン(安然)は、医者になるため北京の大学院進学を目指して受験勉強に励んでいた。そんなある日、 疎遠だった両親が交通事故で急死し、6歳の弟アン・ズーハン(安子恒)が残される。アン・ランは看護師として働き始めた時に家を出たので、入れ違いで生まれた弟とは一緒に暮らしたことがなかった。弟が現れたことで、アン・ランの人生計画はかき乱される。葬式が終わり、父方の伯母アン・ロンロン(安蓉蓉) も母方の叔父ウー・ドンフォン(武東風)も、ズーハンは実の姉であるアン・ランが育てるべきだという。だが、アン・ランは「弟は養子に出す」と宣言。すぐに養子先を探し始め、父が遺した自分名義のアパートも売却する手続きを始める。養子先が見つかるまで仕方なくズーハンと同居し、面倒を見始めるが、幼いズーハンは両親の死を理解できずに我儘ばかり。恋人も彼女の苦境にピントはずれの助けを出して、イライラさせるだけ。ようやく人づてに養子先を紹介される。庭のある家で暮らす金持ちの夫婦は、ズーハンを一目で気に入ってくれる。北京に旅立つ日が近づく。弟を養子に迎えた夫婦に呼ばれる。家を売ったお金の半分を養父母に渡そうとすると、お金はいらないので、合意書にサインをしてほしいといわれる。その条件を聞いて、アン・ランはズーハンの手を引いて走り出す・・・
ものすごく年の離れた弟ですが、一人っ子政策が2015年に解除された賜物。実は、アン・ランの両親は、まだ一人っ子政策(1979年~2015年)の時代に、娘に足の障害があるので、第2子を産みたいと申請したことがあるのです。それを知ったアン・ランが、わざとスカートを穿いたことから嘘だとばれて許可が却下され、父親に怒られたという過去があったのです。 北京の大学の医学部に進学したかったのに、娘は親の面倒を見るべきと、地元の大学の看護科に志望を勝手に書き換えられたという恨みもアン・ランにはありました。
父の姉であるアン・ロンロンが、西瓜を一緒に食べながら語る場面があります。母親はいつも弟優先で、西瓜を内緒で弟だけに食べさせていたこと、大学のロシア語科に受かった時もダメと言われたこと、仕事でモスクワに滞在していた時にも弟に出来た赤ちゃんの面倒を見るために呼び戻されたと語ります。その時に買ってきたマトリョーシカにロシア語で語りかけるアン・ロンロンの姿に、女であるために夢を叶えられなかった悲哀を感じました。 伯母の時代は、まだ一人っ子政策の前ですが、それでも、息子が優先された時代でした。 一人っ子政策が解除されて、無理やり堕胎されたりの悲劇はなくなったとはいえ、男児優先の風潮は続いているのでしょうか・・・
アン・ランが自分の人生を切り開いていきたいという思いの中で、血の繋がった弟のことも考えようとする姿が素敵でした。でも、なんとか自分の道を歩いていってほしいと強く思いました。
これは余談ですが、本作の舞台になっている成都には、32年前に行ったことがあって、町の変貌ぶりに驚きました。 アン・ランが弟と地下鉄に乗る場面があって、おぉ~成都にも地下鉄が出来たのだと。 四川料理といえば、辛いと聞いていましたが、唐辛子というより山椒の辛さなのですね。 アン・ランがお母さんの作る肉饅頭は、花椒で口がしびれてしまうと語る場面がありました。確かに成都で食べた本場の麻婆豆腐は花椒の味がきつかったです。 でも、辛くないまろやかなお料理もあって、四川料理は辛いだけじゃないということも知った成都の旅でした。
成都の公園で、纏足のおばあさんたちが十数名で集っていて、よちよち歩いていたのも思い出しました。足は小さいのが美しいという勝手な解釈で、中国の女性たちが蹂躙されていた時代もあったのだと思いました。女性はいつになったら真の自由を手にできるのでしょう・・・(咲)
「自分が目標とする人生を選ぶか、姉として生きるか」その葛藤が描かれる。
疎遠だった両親が事故死しして、突然現れた6歳の弟を“育てる”ことになるのだが、映画の案内に「見知らぬ弟があらわれる」とあり、弟が生まれたことを知らなかったということなのだろうか、それほど両親と疎遠だったのかと思った。
『花椒(ホアジャオ)の味』でも、主人公は父の葬式で自分に異母姉妹がいることを知り、早々に打ち解け、父の火鍋店を助け合って続けるということが描かれていたが、こちらはそうはいかない。突然現れた「幼い弟の面倒をみなくてはならない」と、両親の姉弟など親戚からいきなり押し付けられたのだから。自分の夢を強制的に諦めさせられそうになることに、無性に腹が立ち、強引な行動に出るが、それもわかる。私でも、この状態だったらそうしただろう。
そもそも医師志望だったのに、女だからという理由で、両親に自分の進路を勝手に変えられてしまったということが許せないアンランは、自力で医者を目指していたのだから、そう簡単に諦めることはできない。それにとても共感する。
(咲)さんが書いている、伯母さんと西瓜を食べるシーンは、私もこの作品の山場である感動的なシーンだと思い、やはり女性の脚本家、監督ならではの思いが込められていると思った。
幼い弟と一緒に暮らすうち情がわいてきたとしても、やはり医者になるという目標を達成してほしいと思いながら観ていたのだけど、最後をどう解釈したらいいのか。養子に出した家から弟を連れだした時、引き取った家の人は引き止めもせずというのが腑に落ちないし、連れだしたけど、彼女はあの時点で実家も売り、病院もやめ、北京に行くという状態だったはずだけど、その状態でどうするのでしょう。その状態で北京に行くという意味なのか、あるいは四川省で弟と一緒に生きていくという意味なのか、判断に迷うところ。最後のシーンは、観た人の解釈に任せるということらしいのですが、私としては、アンランは成都に留まるのではなく、北京に行って新しい生活に挑戦するという方向であってほしいと思った。
男女平等が進んでいるようにみえる中国でも、北京や上海などの都会以外では、まだまだ男尊女卑の考え方が人々の中にあり、女性が家族や男兄弟のために我慢や犠牲を強いられているという現実があるのだなと思った作品でした(暁)。
2021年/中国語/127分/スコープ/カラー/5.1ch
日本語字幕:島根磯美
配給:松竹
公式サイト:https://movies.shochiku.co.jp/sister/
★2022年11月25日(金)より新宿ピカデリー、ヒューマントラストシネマ有楽町、シネ・リーブル池袋ほか全国公開
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