2022年09月25日
プリンセス・ダイアナ 原題:The Princess
監督:エド・パーキンズ(Netflix『本当の僕を教えて』)
製作:サイモン・チン、ジョナサン・チン(アカデミー賞®2度受賞『シュガーマン 奇跡に愛された男』『マン・オン・ワイヤー』)
ダイアナ元皇太子妃 非業の死から25年
駆け抜けた激動の人生をアーカイブ映像で振り返る
1961年7月1日、オールドソープ子爵(後に伯爵)の令嬢としてノーフォーク州サンドリンガムで生まれ、ダイアナ・フランセス・スペンサーと名付けられる。
1981年2月24日、チャールズ皇太子との婚約発表。7月29日、ロンドンのセントポール大聖堂にて挙式。
1982年6月21日、第一子ウィリアム王子出産。
1984年9月15日、第二子ヘンリー王子出産。のちにこの頃から夫婦間の気持ちの上での関係は終わっていたと語る。
1986年5月、チャールズ皇太子と共に初来日。
1992年12月、チャールズ、ダイアナ両者が別居に合意。
1994年6月 チャールズ、カミラ夫人との関係を認める。
1996年8月28日、離婚成立。親権は両者平等に持つ。
離婚後も王室の一員として、「Diana, Princess of Wales」と呼ばれる。
ケンジントン宮殿に住み続け、事務所もそこに置き、王室の公務はほとんど無くなるが、様々な慈善活動を行う。
1997年8月31日午前0時35~40分頃、パリで交通事故にあい重傷を負い、病院に運ばれるも死亡。同乗していた恋人ドディ・アルファイドと運転手は即死。
9月6日、ウェストミンスター寺院で葬儀。
映画は、1997年8月31日深夜、オテル・リッツ・パリの前に群がるパパラッチを映し出して始まります。
チャールズ皇太子との婚約が噂される頃から、常にマスコミに追い掛け回されたダイアナ。お伽話のお姫様のような結婚式に世界の誰もが魅了されました。そして、チャールズの不倫の恋を知ったのを機に破綻していく結婚生活。その後、献身的に慈善活動を行う中で新たな出会いのあったダイアナを、マスコミは執拗に追いかけ続けました。その結果が、パパラッチを交わす為にスピードを出し過ぎ激突事故。
恋人ドディがエジプト人の大富豪の息子で、彼と結婚させまいとした陰謀説も出ましたが、真相は不明。ダイアナは、1996年、パキスタン系イギリス人の心臓外科医ハスナット・カーンと出会い恋人関係にありましたが、本作では触れられず。本命はハスナットだったのではという説も。
イスラーム文化圏贔屓の私は、エジプト系やパキスタン系の男性に惹かれたダイアナに親近感を持っていたのですが、映画の中で、関係の冷え切ったチャールズ皇太子と共に公式訪問したインドで、ダイアナがタージ・マハルに癒されたという場面があって、なるほどと! あと、今回、初めて知って驚いたのは、恋人ドディに婚約者がいたという事実でした。
リアルタイムでダイアナの人生を知っていた私にとっては、ほとんどの出来事が「懐かしい」ものでしたが、若い世代の方たちにとっては、この映画は、ダイアナの激動の人生を知る良い機会になると思います。 当時はなかったSNSの功罪を考える機会にもなるのではないでしょうか。
それにしても、あの衝撃的なダイアナの事故死から25年!
ついこの間のように思い出します。
葬儀の日は、ずっとBBCをつけて見守りました。棺の後ろを歩くウィリアム王子とヘンリー王子の姿が痛々しかったのですが、先日のエリザベス女王の葬儀の時にも、二人が棺の後ろを歩く姿に、25年前の二人が重なりました。二人にとっても、つらい記憶を思い出したときだったのではと思います。
歴史に「もし」はありませんが、ダイアナが別の男性と結婚していたなら、パパラッチに追いかけられることもなく、平穏で幸せな人生をおくったかもしれないと思ってしまいました。
パーキンズ監督は、あえてナレーションやテロップによる解説を加えることなく、膨大な素材の中から厳選して、ダイアナの人生を綴っているのですが、そこからは、メディアの功罪を強く感じさせられます。SNSで誰しもが情報を拡散できる時代となった今、それはメディアだけの問題でないことも考えさせられました。(咲)
2022年/イギリス/109分/英語/カラー/ビスタ/5.1ch
日本語字幕:佐藤恵子/字幕監修:多賀幹子
後援:ブリティッシュ・カウンシル 読売新聞社
配給:STAR CHANNEL MOVIES
公式サイト:https://diana-movie.com/
★2022年9月30日(金)TOHOシネマズシャンテ、Bunkamuraル・シネマほか全国ロードショー
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