カリフォルニア・サウンズを生み出したソングライター
元ビーチ・ボーイズのブライアン・ウィルソンに密着
監督:ブレント・ウィルソン
製作:ティム・ヘディントン、テリサ・スティール・ペイジ、ブレント・ウィルソン
製作総指揮:ブライアン・ウィルソン、メリンダ・ウィルソン、ジェイソン・ファイン
共同プロデューサー:ジャン・ジーフェルス
出演:ブライアン・ウィルソン、ジェイソン・ファイン、ブルース・スプリングスティーン、エルトン・ジョン、ニック・ジョナス、リンダ・ペリー、ドン・ウォズ、ジェイコブ・ディラン、テイラー・ホーキンス、グスターヴォ・ドゥダメル、アル・ジャーディン、ジム・ジェームズ、ボブ・ゴーディオ
Ⓒ2021TEXAS PET SOUNDS PRODUCTIONS, LLC
今でもラジオから曲が流れる、「サーフィン・U.S.A.」「グッド・バイブレーション」「神のみぞ知る」など。そして名盤『ペット・サウンズ』、『スマイル』。『ペット・サウンズ』はビートルズに影響を与えたともいわれる。これらは1960年代の「ザ・ビーチ・ボーイズ」のヒット曲とアルバム。そしてこの曲を作ったのが、「ザ・ビーチ・ボーイズ」の創立メンバーであり、リーダーのブライアン・ウィルソン。聴く者の心を捉えて離さない旋律とコーラスの美しさ。ブライアンの高音にハリのある歌声。今の音楽にも影響を与えた斬新な発想の曲作り。
他の追随を許さないソングライターは、20歳でビーチ・ボーイズを頂点へと押し上げながら、ある日、グループから忽然と姿を消した。いったい何があったのか。輝かしい栄光の日々のなか、ブライアン・ウィルソンが抱えていた苦しみ。壮絶な人生の喜びと悲しみ、秘めた想いが、ブライアン自身によって語られる。
ブライアンが信頼をおく、友人の元ローリング・ストーン誌のベテラン編集者ジェイソン・ファインとともにドライブをしながら、幼少期を過ごした家や、『サーフィン・サファリ』のジャケット写真を撮影したパラダイス・コーブなど、ゆかりの西海岸の街をめぐる。ドライブを楽しみながらブライアンが話すグループや私生活をめぐる記憶を軸に、ホームビデオやレコーディング風景などの貴重なアーカイブ映像とともに、3年間で70時間以上にわたるインタビュー撮影で語られるのは、プレッシャーに苛まれ陥った薬物中毒、自由と金銭を奪われ続けた精神科医との葛藤。そして亡くなってしまったかけがえのない弟たちへの確執と愛情。それでもブライアンには音楽が、そして創作意欲があった。音楽が彼を世に導き、最悪の環境から救い出し、人間的な復活を遂げた。
貴重なアーカイヴ映像やブライアンをよく知る関係者、彼を信奉するブルース・スプリングスティーンやエルトン・ジョンなど有名ミュージシャンがブライアンへの思いを語り、ブライアン・ウィルソンの軌跡をひも解いていく。
1960年代後半というと、私は中学生から高校生の頃。グループサウンズにハマっていた。そして高校3年の時にはフォークソング同好会を立ち上げ、活動していた。高校3年の時に初めてバイトして買ったのもギターだった。
イギリスではビートルズやローリングストーンズ、アメリカではモンキーズやビーチボーイズが全盛時代。外国の音楽も入ってきていたけど、主にラジオや街に流れる音楽で、TVで映像が流れることはあまりなかった。というよりは、我が家では、日本の音楽番組は見ていたけど、外国の音楽番組を見ることがなかったということだったのかもしれない。でも、この4つのグループぐらいは特集があったかもしれない。
この数年、『リンダ・ロンシュタット サウンド・オブ・マイ・ヴォイス』『スージーQ』『ローレル・キャニオン 夢のウェストコースト・ロック』『エコー・イン・ザ・キャニオン』など、その頃の音楽シーンをよみがえらせる音楽ドキュメンタリーが、次から次へと公開され、その60年代後半の映像がいっぱいあったんだということを知った。当時、名前しか知らなかったり、名前は聞いたことはあっても顔と名前が一致しなかった人も多く、ブライアン・ウィルソンもその一人だった。『エコー・イン・ザ・キャニオン』で、ビーチボーイズの曲を作っていた人ということを知り、この映画で彼の歩んできた道と苦悩を知った(暁)。
公式HP
2021年/アメリカ/英語/93分
字幕監修:萩原健太
配給:パルコ ユニバーサル映画
宣伝:ポイント・セット
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