過酷な運命に翻弄された20人の子どもたちを忘れないで
監督・撮影:東 志津
音楽:阿部 海太郎
音響デザイン:井上 久美子
日本語字幕:吉川 美奈子
語り:吉岡 秀隆
港湾都市として知られる第二の都市ドイツハンブルクに、かつてノイエンガンメ強制収容所があった。第二次世界大戦勃発前の1938年に設置された強制収容所の一つで、ナチスの迫害を受けたユダヤ人や捕虜、政治犯など、1945年の終戦までにおよそ10万人の人々が収容された。
ここに1944年11月28日、アウシュヴィッツ強制収容所から5歳から12歳の子供20人が送られてきた。男の子と女の子10人づつ。フランス、オランダ、イタリア、ポーランド、スロヴァキアなど、生まれた国は様々だったが、皆ユダヤ人で「結核の人体実験」のため集められた。過酷な実験で衰弱した子供たちはドイツの敗戦が迫る1945年4月20日、証拠隠滅のため、ブレンフーザー・ダムでナチ親衛隊に殺害された。
彼らの存在は戦後長い間、世間に知られることはなかったが、1970年代末、ドイツ人ジャーナリスト、ギュンター・シュヴァルベルクが調査し発表した。
ノイエンガンメ強制収容所とブレンフーザー・ダムは現在、記念館になり、多くの見学者や研究者を受け入れている。耐え難い運命の犠牲となった20人の子どもたちと、彼らの死を忘れまいと行動するドイツやヨーロッパの人々がいる。ノイエンガンメ記念館が中心になって、欧州各国の中高校生らが今も20人の調査・学習を続けている。また周辺の学校でも先生たちが自主的にプログラムを組み、学習活動をしている。
監督は、『花の夢 ある中国残留婦人』『美しいひと』の東志津。
ナチスが人体実験をしていたというのは、かなり知られた話だが、子供たちが結核の実験のためにアウシュヴィッツ強制収容所から連れてこられていたということを初めて知った。大人で実験したが、結果が出せなかったためとも言われている。そして5か月後には、証拠隠滅のため殺されてしまったという事実。東監督は文化庁新進芸術家海外研修のためフランスに行った時に持っていったヴィクトール・E・フランクルの「夜と霧」でこのことを知り、2010年にここを訪ね、その後、この話を映画にしようと思ったと語っていた。この子たちは無残に殺されてしまったけど、今はバラ園に祀られている。この町の路には亡くなった子供たち名前が名づけられ、この子たちのことを忘れまいとする人たちの思いを感じた。日本軍も731部隊などが人体実験をしたけれど、そのことを後の世代の人たちに伝えていかなくてはならない(暁)。
公式HP
上映時間108分 / 製作:2022年(日本)
配給:S.Aプロダクション
*東志津監督にインタビューしています。
『北のともしび ノイエンガンメ強制収容所とブレンフーザー・ダムの子どもたち』
東志津監督インタビュー
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