監督・撮影・編集:國武綾
プロデューサー:中川究矢
エグゼクティブプロデューサー:宮下公一
出演:ちゃず、マム、ヘイ兄、加計呂麻島 西阿室集落のみなさん、けんちゃん 他
イラストレーターのちゃずさんはずっと東京暮らし。仕事に追われる日々がなんだか息苦しくなって、夫と相談の結果、1年間だけ単身奄美群島の加計呂麻島に移住することにした。仕事はパソコンがあれば東京とやりとりができる(接続は遅い)。夫とは毎日スマホで交信、島の人々と顔見知りになり挨拶をかわし、自転車で走り回る。ちゃずさんはたくさん充電ができた。
そんな島暮らしの様子をたまたまラジオで聞いた國武綾は、ちゃずさんのinstagramやHPをフォローし、ワニブックスの著書も読んだ。そしてちゃずさんが島にいる間に”ドキュメンタリーを作ろう!”と思い立つ。
國武綾監督は俳優をしながらアルバイトもしています。そのバイト先のラジオでちゃずさんの声を聞いたのが、映画のきっかけというのですから面白いです。ちゃずさんと同じく夫さんが映像作家で、撮影許可をもらいに2人で加計呂麻島を訪ねました。飛行機で成田から奄美空港へ(一日一便/3時間)、南下して船で30分。遠路はるばる出かけ初めてちゃずさんに出逢って、カメラを回したときの感想がHPに掲載されています。初々しいです。
私はこの映画で初めてちゃずさんを知りました。笑顔も元気もいっぱいの方です。東京を飛び出したいほど、元気の出ないときもあったんですね。期限付きの移住って、故郷がもひとつ増えた感覚じゃないでしょうか?島暮らしは不便なこともあるけれど、島時間が流れて東京のようにせかせかしません。映画を観たら島に行きたくなりました。(白)
期間限定の奄美大島・加計呂麻島への移住。この作品を観て、私自身の1981年から85年までの信州、鹿島槍高原、白馬村暮らしのことを思いだした。私の場合は写真をやっていて鹿島槍ヶ岳という山の写真を撮ろうと思っての信州暮らしだったけど、この作品を観て、これも今思えば「期間限定の移住」だったなと思いました。山やスキーにハマって、1970年から80年の約10年の間に60回くらい長野、松本、白馬など信州の山々に通い、鹿島槍ヶ岳に魅せられ、結局、北アルプス山麓で暮らすことになったのでした。私の信州での山里暮らしも当初1年の予定だったけど、結局延べ5年の滞在。やはり魅せられた場所での暮らしは離れがたくなるのです。私の場合は、帰るか残るかすごく迷いましたが、やはり東京に戻ってきました。ちゃずさんも当初は1年の予定だったけど2年半の加計呂麻島・西阿室集落での生活を続けました。イラストレーターという仕事を持ち、地元の人たちとの交流、共同作業や仕事の請負いなど、その地に根付いてしまうと離れがたくなるのです。ちゃずさんの仕事を観て、『街は誰のもの?』を思いだしました。この作品はブラジルサンパウロで、家の壁などに文字やイラストなどを描いている人たちのことを描いていたけど、ちゃずさんもいろいろな人の家の壁などに絵を描いていました。こういう絵もいいなあと思いました。
奄美大島というと、私にとっては田中一村が移住して絵を描いた島というイメージで、一村は50歳をすぎてから奄美大島に行き、大島紬の染色工として生計を立てながら絵を描き続け、生涯を終えた69歳までここで絵を描き続けました。彼の絵は亡くなってから知られるようになり、今、奄美大島に「田中一村記念美術館」もありますが、一村の作品も奄美の自然に魅せられて、鮮やかな色彩と奄美の動植物を描いていますが、ちゃずさんの絵を見て、ここに暮らすとやはり同じように自然に影響された色彩や姿かたちを描くのだなと思いました。一村の絵は生きているうちは社会に知られることがなかったけど、現代に生きるちゃずさんはインターネットを駆使して、自分の今を社会に発信しています。
私は一村の絵を見て衝撃を受けたのですが、奄美の自然は人の心を揺さぶります。いつか奄美大島に行ってみたいと思っていましたが、『夫とちょっと離れて島暮らし』を観て、いっそうその気持ちが強くなりました(暁)。
2021年/日本/カラー/90分
配給:Amami Cinema Production
https://chaz-eiga.com/
協力:BUENA、エビス大黒舎、お食事処もっか、株式会社ワニブックス
★2021年12月25日(土)より新宿K's cinemaにて2週間限定公開!
ほか全国順次公開
連日朝10時より上映※1/1は休映ロードショー
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