2021年11月06日
ドーナツキング 原題:The Donut King
製作総指揮:リドリー・スコット(『ブレードランナー』)
監督:アリス・グー
出演:テッド・ノイ、クリスティ、チェト・ノイ、サヴィ・ノイ、メイリー・タオ
米・カリフォルニア州にある約5,000店舗のドーナツ店。その90%以上がカンボジア系アメリカ人による個人経営の店だという。どの店のルーツも全米の“ドーナツ王”と呼ばれたテッド・ノイにたどり着く。テッドおじさんのお陰とカンボジア難民たちは感謝する。
テッド・ノイは、1941年、カンボジアのシソポン生まれ。5歳の時、カンボジア人の父が失踪し、中国人の母の苦労を見て必死に勉強。憧れた高校のチャーミングな同級生と結婚。カンボジア国軍の陸軍少佐として家族と共にタイで勤務していた1975年4月、給料を取りにカンボジアに帰った折、クメール・ルージュによりプノンペンが陥落。義父の助けで間一髪、米軍機で脱出するが、国に残った義父の行方は今も不明。テッド一家は、難民としてアメリカに亡命。カリフォルニア州タスティンのガソリンスタンドで働いていたテッドは、初めて口にしたドーナツの美味しさに恋をする。深夜にも客が途絶えないドーナツ店。大手ドーナツチェーン、ウィンチェルで研修を受け、3か月後には店舗責任者に。さらに、翌年、自分の店「クリスティ」1号店を開き、掛け持ちで経営。クリスティは恋女房がアメリカに来てから付けた名前だ。家族経営で経費を抑え、ドーナツを入れる箱も白より安いピンク色に変える。(★注) 自分の店で同胞のカンボジア難民たちを雇い、ドーナツ製造のノウハウを教え、店を構える手助けもした。資産は2,000万ドル(日本円で約22億円)にも達し、1991年には、ジョージ・H・W・ブッシュ大統領にアメリカンドリームを実現した功績を称えられて表彰も受けた・・・
★注)当時、白い箱に比べピンクの箱は安く手に入り、目立つからという理由だったそうですが、LAタイムズには、アジア人にとって赤やピンクはおめでたい色、白は葬儀で使う縁起の悪い色だったからと書かれているとのことです。
https://www.latimes.com/business/la-fi-pink-doughnut-boxes-20170525-htmlstory.html
監督は、LA生まれの中国系アメリカ人アリス・グー。ベビーシッターから聞いた「カンボジア・ドーナツ」という言葉が気になり、由来を辿った先で出会ったのがドーナツ王のこと。内戦を逃れてアメリカに来たテッド・ノイの人生は、監督自身の両親が共産革命から逃れて中国からアメリカにやってきたことにも重なったそうです。
テッドの生い立ちや魅力的な奥様との馴れ初めから、クメール・ルージュによる大虐殺を逃れてアメリカに渡り、必死に働きわずか3年で大富豪になったことをテンポよく語り、テッドのお陰でドーナツ店を営むカンボジア難民の人たちの生き生きとした姿も映しだしています。カリフォルニアでこれほどまで多くのカンボジア人の経営するドーナツ店が人気なのに驚かされたのですが、それよりもっと驚いたのが、ドーナツ王テッド・ノイのその後の波乱の人生! 今は故国カンボジアに戻っているテッド・ノイ。どんな人生を送ったのかは、ぜひ映画をご覧ください。「いや~面白かった」と言ってはテッドさんに申し訳ないのですが、ほんとにワクワクするドキュメンタリーでした。 一方で、今も故国をあとにして難民とならざるを得ない人が多くいることに思いが至りました。難民となった人たちが、新天地で幸せな暮らしをおくれることを祈るばかりです。(咲)
登場する人の言葉のはしはしに「?」と思うところあり、後でそうだったのかと腑に落ちます。この展開はネタバレできませんものね。テッドさんの九死に一生を得た脱出から始まって「アメリカン・ドリーム」をを掴むまでのお話とその後は、そうそう体験できないものすごく濃い人生です。私がやりたいかといえば、後半は変えたいですね。テッドさん自身が一番そう思っているはずですが。ともかくも、たくさんの同胞に手を貸してあげたことは自慢していいと思います。日本も少しは見習おうよ。(白)
2020年/アメリカ/ビスタ/カラー/99分
配給:ツイン
公式サイト:http://donutking-japan.com/
★2021年11月12日(金) 新宿武蔵野館他にて全国順次ロードショー
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