9月23日(木・祝)TOHOシネマズ 日比谷他全国公開
劇場情報
監督:アンドリュー・レヴィタス 脚本:デヴィッド・ケスラー
原案:写真集「MINAMATA」W.ユージン・スミス、アイリーンM.スミス(著)
出演:ジョニー・デップ、真田広之、國村隼、美波、加瀬亮、浅野忠信、岩瀬晶子、ビル・ナイ
音楽:坂本龍一
製作:ジョニー・デップ
日本語字幕:髙内朝子
写真家ユージン・スミスと水俣の実話から生まれたハリウッド映画
水俣病は日本での「公害の原点」ともいわれ、1956年5月に公式発見された。熊本県水俣市の新日本窒素肥料(現・チッソ)水俣工場の工場排水にメチル水銀が混じって海に排出され、これを取り込んだ魚や貝を人が摂取したことで多くの方が水俣病に罹患した。第二水俣病、四日市喘息、イタイイタイ病と並び日本における4大公害病のひとつといわれている。しかしメチル水銀が原因と判明し、環境に配慮した対策がとられたのは1968年。
水俣病について日本では、桑原史成などの写真家、土本典昭監督のドキュメンタリー映画によって記録されてきたし、石牟礼道子の「苦海浄土」などの本によっても描かれてきたが、世界に発信したのが、写真雑誌「ライフ」などで活躍していたアメリカ人写真家のユージン・スミスと言われている。1971年~74年の3年間水俣に滞在、水俣病の患者たち、胎児性水俣病患者と家族、抗議運動などを撮影した。この作品は水俣病の存在を世界に知らしめようと、ジョニー・デップが製作。写真家ユージン・スミスを演じ、妻アイリーン・美緒子・スミスととともに水俣に生活し、撮影の日々が描かれる。
1971年、ニューヨーク。ユージン・スミスは第二次世界大戦や、戦後は労働運動など、人の命、ケア、人権などの社会問題を描く「フォト・エッセイ」などで、かつてはアメリカを代表する写真家として称えられていたが、酒に溺れる日々を送っていた。そんなある日、アイリーン・美緒子という日系人の女性から、水俣病に苦しんでいる人たちの写真を撮ってほしいと頼まれる。最初は断ったが、有機水銀に侵された人々の姿や、抗議運動の人たちとそれを弾圧するチッソの姿を見て、日本に来る決心をする。そしてアイリーンと共に水俣病と向き合った。人々の暮らしに寄り添ったユージンの瞳とカメラを通して私たちが見るのは、闇に包まれた苦難の瞬間にも、光として浮かび上がる人間の命の輝きと美しい絆。それらを捉えた写真に警告と希望を焼き付けた。写真集は1975年に完成し、世界に「MINAMATA」を知らしめた。
ユージン・スミスを演じたジョニー・デップ。「ライフ」の編集長役を演じたビル・ナイ。日本からは真田広之、國村隼、美波、加瀬亮、浅野忠信らが参加。また坂本龍一が音楽を手がけた。ジョニーは今もまだ続く水俣病にスポットをあて、各国で同じ環境被害に苦しむ多くの人々をも照らし出そうと、主演し、自らプロデューサーにも名乗り出た。
ユージン・スミスの写真展は何度か行ったことがあるし、水俣をテーマにしたドキュメンタリー映画もけっこう観てきましたが、ユージン・スミスが日本に来るまでの栄光は知っていても苦悩は知りませんでした。この映画ではそれが描かれていて、あらためてユージン・スミスの人生、生き方を考えました。
あの当時(1970年初め)、報道写真に興味があり、ユージン・スミスやロバート・キャパ、日本人では桑原史成などの影響を受け、私も報道写真を目指しベトナムやカンボジアなどに写真を撮りに行きたいと考えていました。
そういう思いを持って生きてきたので、ハリウッド映画は、水俣の公害問題、日本でのユージン・スミスをどのように描くのかとても興味がありました。とてもまじめにユージン・スミスを描いていたと思うし、水俣のこともこれまでいろいろな作品に出てきたエピソードをおおむね参考にしているのではないかと思いました。なによりもジョニー・デップが、ほんとにユージン・スミスの風貌そっくりになっていたことが驚きでした。そしてあの有名な「母親が胎児性水俣疾患者の娘を抱いて入浴している姿」は歴史に残る写真だと思うけど、その撮影シーンが出てきた時には、心臓がバクバクするほど心が揺り動かされました。また、患者の会の活動家を演じた真田広之さんが机の上に座りこみチッソの社長に迫るシーンは、患者の会の会長だった川本輝夫さんが実際にした行動でしたが、それも描かれていてびっくりしました。
もうひとつびっくりしたのは、写真をプリントするとき、この映画では手を現像液や停止液、定着液に浸していましたが、ほんとにそのようにやっていたのだとしたらと驚きです。私は化学薬品に手をつけたくないので、水洗まではトングを使ってプリントする紙をつかんでいましたが、この映画に描かれていたように、この暗室では実際そうやっていたんだろうか?とも思いました。このチッソの抗議運動は水銀中毒に対する被害を訴える運動だったわけだから、現像に使う化学薬品に手を浸すというのは、ちょっと考えられないとも思いました(暁)。
私が水俣病を知ったのは、小学生5~6年生の頃。少女漫画雑誌の「少女フレンド」か「マーガレット」に掲載されていた1枚の写真。寝たきりの少女の目はキラリと光っているのに、動くことができず、母親が食べさせてあげている写真でした。そこには、水俣で水銀の混じった工場排水で育った魚を食べたのが原因と書かれていて、体温計を割ったら大変と頭に叩き込んだのでした。今でも覚えているほど写真から受けた衝撃は大きかったです。
その水俣病が何年経っても損害賠償がきちんとされないことを知ったのは、大人になってからです。ユージン・スミスの写真によって、水俣病は世界に知らしめられましたが、それでも訴訟がすんなりとは進まない歯がゆさ。
ユージン・スミスを水俣に誘ったアイリーン・美緒子さんは、ユージン・スミスが1978年に亡くなられた後も、1983年にはコロンビア大学で環境科学の博士号取得、1991年には環境市民団体グリーン・アクションを設立し活動を続けています。アイリーンさんのその後の物語をもっと知りたいと思いました。
公式サイトの「ORIJINAL]のコーナーにアイリーンさんとユージン・スミスご本人の写真があります。素敵なアイリーンさんと、いかにジョニデがユージンそっくりに扮しているかをご確認ください。
追記:9月20日夜9時からのNHKニュースで『MINAMATAーミナマター』を特集していて、今もアイリーンさんが水俣に寄り添って活動されている姿を拝見することができました。笑顔がとても素敵でした。(咲)
『MINAMATA ―ミナマタ―』公式サイト
提供:ニューセレクト株式会社、カルチュア・パブリッシャーズ、ロングライド
配給:ロングライド、アルバトロス・フィルム
2020年/アメリカ/英語・日本語/115分/1.85ビスタ/カラー/5.1ch/
☆お知らせ
『MINAMATA ―ミナマタ―』公開記念の写真展が開催されています。「シネマジャーナルHP スタッフ日記」に詳細を記しています。興味ある方はこちらにアクセスしてみてください。
『MINAMATA ―ミナマタ―』公開記念 桑原史成写真展、ユージン・スミスとアイリーンが写した「MINAMATA」作品展&ユージン・スミス集大成写真展のお知らせ
http://cinemajournal.seesaa.net/article/483705121.html?1633906001
2021年09月18日
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