2021年04月25日

過去はいつも新しく、未来はつねに懐かしい 写真家 森山大道

2021年4月30日(金)より全国順次公開
※緊急事態宣言のため上映劇場は公式サイト(https://daido-documentary2020.com/)をご確認ください。

上映劇場
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(C)「過去はいつも新しく、未来はつねに懐かしい」フィルムパートナーズ


これはひとりの写真家の彷徨の記録である

監督・撮影・編集:岩間玄
プロデューサー:杉田浩光、杉本友昭、飯田雅裕、行実良
音楽:三宅一徳
出演:森山大道、神林豊、町口覚ほか
2021年/日本/112分/5.1ch/スタンダード/DCP/G

スナップショットで知られる森山大道は、1968年、写真集「にっぽん劇場写真帖」でデビュー。1968年は、プラハの春、ベトナム戦争、キング牧師暗殺、パリ5月革命、アポロ7号打ち上げ、学生運動の激化など、さまざまな事件が起き、騒乱と混沌の激動の1年だった。
そんな中、森山大道の作品は粗い粒子、被写体がブレ、ピントが合っていないボケ写真で、当時の写真に対する常識を覆す先鋭的なもので写真界に大きな衝撃を与えた。「こんなものは写真じゃない」という人たちがいる一方で、「これこそぼくたちが求めていた写真だ!」という人たちがいた。賛否両論があったものの、粗い粒子のブレボケ写真は、大道写真として認識され世界でも知られるようになった。
そして『なぜ、植物図鑑か』で知られる中平卓馬との出会いと別れ。切磋琢磨して写真を撮っていたが、盟友中平卓馬は若くして言語能力と記憶に障害を負ってしまった。
デビューから50年、2018年秋、世界最大の写真の祭典「パリ・フォト」で伝説の写真集が半世紀ぶりに甦り、写真家森山大道のまわりは黒山の人だかり。サインする姿を世界中から集まったファンが熱いまなざしで見つめている。
この祭典のために2018年春、デビュー作「にっぽん劇場写真帖」復刊プロジェクトが始まった。編集者・神林豊と造本家・町口覚は、敬愛する森山の処女作を決定版として世に送り出すべく奮闘する。カメラは写真集を創るための樹木の伐採から追う。そして、この写真集を歴史的資料として後世に残そうと、この写真群は、いつ、どこで、どのように撮られたのか、一点一点確認し、本人の記憶をたどり解き明かしてゆく。
そして森山大道は、50年たった今も小さなデジタルカメラを片手に街を歩きスナップ写真を撮っている。新宿、池袋、秋葉原、中野、渋谷、神保町、青山、中目黒、三軒茶屋、四谷、蒲田、羽田などを彷徨し激変する東京を切り取る。カメラや街は変わっても撮影スタイルは昔と同じ。
監督は「映画の狙いとしては、過去と未来が一直線に繋がっているというより、過去と未来が響きあい、そのなかから現在が立ち現れるような構成を目指しました。撮影機材は変わりましたが、街の中で写真を撮る森山さんはあまり変わりません。本作最大の見どころが、東京を彷徨する森山さんの姿です。森山さん自身は感覚に導かれるままシャッターを切っている」と語る。

私が写真に興味を持ったのも1968年。工業高校工業化学科の実習で写真のプリントやフィルム現像をしたのがきっかけだった。父親も写真に興味があり家に現像・プリントのための道具があったのと、母親もPTAの写真部に所属していたのも影響があったかと思う。その頃、家にあったカメラはハーフサイズ(35mmフィルムの半分のサイズ)だった。1970年に高校を卒業し就職した会社でも写真部に所属した。そして一眼レフカメラを買ったのが1972年頃。ベトナム戦争最中でもあり、キャパ、一ノ瀬泰三、石川文洋、桑原史成などの影響で報道写真に興味を持っていた。
その頃は写真というとモノクロ(白黒)がほとんど。カラー写真が一般に普及しだしたのが1972年頃。カラーが普及しても、私はモノクロ写真中心で、自宅でフィルム現像し、モノクロプリントを1990年代まで続けていた。デジタル一眼レフカメラを買ったのが2006年。その頃にはフィルム写真は卒業。
そんな写真界の変遷があったが、私が森山大道を知ったのは1970年前後だったと思う。彼の写真に対しては、私が求めていた写真の種類とは違ったのであまり興味がなかった。というより、粒子の粗い、ブレボケの写真は、私の好みではなかった。それでも森山大道の写真展は、たぶん1970年代に数回行っていると思う。私も写真に燃えていたから。あの頃1週間に1、2回はいろいろな人の写真展に通っていた。あまりに古くてよく思いだせないけど、たぶん1974「遠野物語」、1975「五所川原」、1978「津軽海峡」あたりだろう。
1976年には働きながら、夜は写真学校に通っていた。その後は山岳写真にはまって山の写真を撮るために長野県大町市や白馬村に5年くらい住んでいたこともある。そして東京に戻ってきて働いていた職場では、写真の現像やプリント制作、カタログ制作のための写真を撮ったり、写真管理の仕事をしていた。そのような分野は森山大道のようなブレボケ、粒子の粗い写真とは対極にあった。だから彼の写真はほとんど見てこなかった。
そして、このドキュメンタリー。50年近くたって森山大道の写真を見て、やはり写真的には好みではないけど、本人のさりげない生き方は好き。アラキーのようにエキセンテリックではなく淡々と写真を撮っている姿は相変わらずで、その気持ちは伝わってきた。デジタルカメラの時代になって、私は最初に1眼レフカメラ、そのあとに少し小型のレンズ一体型の中型カメラ、そして毎日持って歩けるよう、手に入るような小さなカメラへと、3台目に大道さんが持っているような小さくて軽いカメラを買った。軽いカメラは大道さんのような写真には向いていたけど、私が撮りたいピントが良くてブレのない写真には向いてなかった。結局、私はカメラを毎日は持って歩かなくなり使うカメラは中型カメラに落ち着いた。
このドキュメンタリーはその頃から変わらない大道さんの撮影スタイルが映し出されていて、一気に古い時代を思い出した。そして80歳になっても街を歩きまわり、小さなデジタルカメラで撮影している姿を見て元気をもらった(暁)。


森山大道という名前はこの作品で初めて知ったが、『あゝ荒野』でスチール写真を担当された方だった。作品に挟み込まれる過去の写真はボケていたり、ピントが外れていたり、ざらざらした感じがして、ちょっとバイオレントな雰囲気があるのに、森山大道さん自身はとってもシャイな感じ。作品だけではわからないものだと思う。
このドキュメンタリーはccccccccc森山大道さんの写真集「にっぽん劇場写真帖」の復刻プロジェクトの進行を軸に進められる。写真集がモノとして作られていく過程が興味深い。特に印象に残ったのは印刷所での色の決定。森山大道さんの最近の主だった写真集の色をすべて管理してきたプリンティングディレクターの差配は神業。驚嘆ものである。(堀)


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(C)「過去はいつも新しく、未来はつねに懐かしい」フィルムパートナーズ

『過去はいつも新しく、未来はつねに懐かしい 写真家 森山大道』 公式HP
制作・配給:テレビマンユニオン
配給協力・宣伝:プレイタイム
企画協力:森山大道写真財団ほか
印刷協力:東京印書館、誠晃印刷

【公開記念関連イベント】
■森山大道 写真展「衝撃的、たわむれ」
写大ギャラリー森山大道アーカイヴより
●会場 東京工芸大学 写大ギャラリー
    〒164-8678 東京都中野区本町2-4-7 5号館(芸術情報館)2F
    TEL 03-3372-1321 (代)
    地下鉄丸ノ内線/大江戸線 中野坂上駅下車 1番出口・徒歩7分
●会期 2021年3月22日(月)~2021年5月31日(月)
●時間 月〜金 10:00~18:00、(土)10:00~17:00
 日曜日休館
●無料
●展示作品 モノクロ写真作品 61点
●主催 東京工芸大学 芸術学部
●協力 森山大道写真財団、月曜社、マッチアンドカンパニー、株式会社テレビマンユニオン、株式会社ほぼ日
http://www.shadai.t-kougei.ac.jp/overview.html

■展覧会「はじめての森山大道。」
●会期:2021年4月30日(金)~5月30日(日)
※4月25日からの渋谷PARCO全館休業に合わせて開幕を延期します。
今後の情報については、ほぼ日曜日のTwitter(https://twitter.com/hobo_nichiyobi)でお知らせします
●会場:ほぼ日曜日 渋谷PARCO8階
●時間:11時~20時
●料金:600円(小学生以下無料)
森山大道の映画と展覧会が同時に観られる貴重な機会です
https://www.1101.com/daido-moriyama/index.html
posted by akemi at 21:57| Comment(0) | 日本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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