2021年04月18日

きみが死んだあとで

劇場公開 2021年4月17日 ユーロスペースほか
劇場情報 
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(C)きみが死んだあとで製作委員会

製作・監督・編集:代島治彦
撮影:加藤孝信
整音・音響効果:滝澤 修
音楽:大友良英
写真:金山敏昭、北井一夫、渡辺 眸
登場人物はこちら

すべては「第一次羽田闘争=きみの死」からはじまった
「あの時代」を語り継ぐ

1967年10月8日。佐藤栄作内閣総理大臣(当時)の南ベトナム訪問阻止のため、ヘルメットやゲバ棒で武装した学生は羽田空港に通ずる弁天橋で機動隊と激突。その「三派全学連」を主体とする第一次羽田闘争は、その後、過激化してゆく学生運動のきっかけとなる事件だった。そのなかで一人の若者が殺された。山﨑博昭、18歳だった。死因は諸説あるが、機動隊に頭部を乱打されたためか、装甲車に轢かれたためか、彼の死は同世代の若者に大きな衝撃を与えた。山﨑博昭の死から半世紀が過ぎた。亡くなった山﨑博昭の兄や、高校の同級生・同窓生たち、当時の運動の中心だった人たち14人が登場し、彼のこと、事件のこと、あの時代のこと、その後の運動のことを語る。それぞれの記憶の中から語られるそれぞれの青春と悔恨。あの時代の若者たちの熱い思いと行動の意味が浮かびあがる。
「きみの死」はまだ終わっていない。半世紀を経てもなお、その宿題は続いているのだ。
上・下巻合わせて3時間20分の大長編にまとめたのは、『三里塚に生きる』『三里塚のイカロス』代島治彦監督。音楽は大友良英。フリージャズをベースにしたアナーキーな主題曲は、混乱と若者たちの息吹を感じさせる。最後にかかる「インターナショナル」もこの方法で演奏されよけいやりきれない思いが押し寄せる。権力と闘い、革命を叫んだ「全共闘世代」の思いを記録した重厚なドキュメンタリー。

このドキュメンタリーを作ったきっかけ HPより 代島治彦監督
「10・8山﨑博昭プロジェクト」は、山﨑博昭の兄・建夫さんが弟の死を追悼したいと呼びかけ、集まった大手前高校の同期生や先輩、第一次羽田闘争を一緒に闘った同志が中心となって立ち上げたプロジェクト。設立は2014年10月だったと思います。プロジェクトの大きな目標は3つ。羽田・弁天橋の近くに山﨑博昭を永遠に追悼するモニュメントを建立すること、山﨑博昭が残した日記や手記を一冊の本として出版すること、山﨑博昭が生命をかけて闘った「日本のベトナム反戦運動」の歴史を後世に伝える展覧会を開催すること。このなかで、ぼくに映画を作らせる入り口となったのが二冊の本でした。当初は一冊の本として出版する予定だったのが、集まった原稿量が多くて、それから当時の資料をすべて収集網羅しようとしたために総頁数1200を超える二冊の大著になったのです。本の題名は『かつて10・8羽田闘争があった』。「寄稿編」と「記録資料編」の二冊に分かれています。ぼくが特に心奪われたのは、山﨑博昭の大手前高校同期生や先輩、羽田・弁天橋で一緒に闘った同志、そして「あの時代」を共に生き抜いた同時代者たちが寄せた原稿でした。そこには第一次羽田闘争を出発点とした61人の長い人生がありました。61人それぞれの個人の記憶が交錯し、時代の記憶が紡がれていました。

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(C)きみが死んだあとで製作委員会

私は代島監督より少し上で、かろうじて学生運動に間に合った最後の世代。羽田闘争があった1967年に高校に入学。通っていた工業高校でも1968年頃から学生運動の波が届き、学内集会なども行われた。
この羽田闘争くらいから学生運動が高揚し、ヘルメットにゲバ棒というスタイル、大学にはスローガンを掲げた立て看板が立ち並ぶようになっていった。ベトナム戦争はますます激しくなり、沖縄からベトナムに出撃する飛行機が増え、アメリカ兵も増えていった時期でもあった。新宿駅西口でで反戦フォークを歌う集会などもおこなわれるようになり、1968年10月21日の国際反戦デーには新宿騒乱事件もあった。これらの運動の原点が、この第一次羽田闘争だったのだとこのドキュメンタリーで改めて認識した。
1969年には私もベトナム戦争に反対する反戦集会やデモに出かけるようになっていた。高校3年だった。友人から誘われて学校帰りに学生服のままベ平連(ベトナムに平和を!市民連合)のデモに参加した。結局、高校を卒業し就職するまでデモに20回くらい参加したと思う。その頃、あちこちの地域でベ平連のデモはあったけど、私が行ったのは四谷の清水谷公園が多かったので、たぶん中央会場だったのだろう。ニュースなどで名を知っていた小田実さんや吉川勇一さんなどがいた。ベトナム戦争当時、アメリカ軍の飛行機は沖縄の基地からも飛び立っていたから、「ベトナムに平和を。日本はこの戦争に加担すべきでない」というのが、これらの運動、行動をする人たちの共通認識だった。その会場にヘルメットにゲバ棒をもち、ジグザグ行進する学生運動の人たちもいたが、私には「平和を」と言っているのに暴力を肯定するような行動と言動には違和感があったが、そういう人たちも含んでの、あの頃の「ベトナム反戦運動」だった。
そんな市民運動や学生運動は終わってしまったという人もいるけど、私は終わっていないと思う。それらに参加した人たちは、あの頃の行動とは違った形で自分の思いを表現し、行動し、生きている。あれから40年以上たって、あの頃のことが検証されるのはとても意義のあること。彼らがまだ生きているうちに記録し、あの頃の行動の意味、息吹を後の世代に伝えていかなければ、彼らの思いは伝わらず、ただ「暴動」のような言い方をされてしまう。私自身、「羽田闘争」などの行動の時に参加していた人たちの思いとかその後の生き方などを知らなかったので、このドキュメンタリーを観て、改めて彼らの思いを知ることができた。
そして意外な繋がりを感じた。山﨑博昭さんの先輩で、京大中核派のリーダーだった赤松さんが、その後ワイン醸造会社に就職して葡萄を育てているというので調べてみたら、赤松さんは、私がずっと気になっていたワイン会社の農場の農場長だったということがわかった。すでに退職しているけれども、私は今もこの農場に行ってみたいと思っている。また、この事件で「羽田10.8救援会」を組織し、この後「救援連絡センター」を設立。その後、反原発運動にかかわり、日本の反原発の主導的役割を担っていた物理学者の水戸巌さんと一緒に活動していた妻の喜世子さんも出てきたが、長年登山をやっていた私は剣岳で亡くなった水戸巌さん親子の遭難のことを覚えている。いっぺんに夫と双子の息子の家族3人を亡くしてしまった喜世子さんの無念さを思うと涙が出た。ちなみに剣岳は私も2回挑戦したけど、結局登頂できていない。挑戦して登頂できなかった山は剣岳だけなので、喜世子さんだけでなく、亡くなった方たちの無念さもすごくわかる。
最後に流れた「インターナショナル」。これまでに聞いたこともないようなフリージャズ的なノイジーな演奏でとても気になった。大友良英さんが音楽担当だったんだ。私は「インターナショナル」を、このベ平連のデモの中で知った。今も映画を観ていると、いろいろな映画で「インターナショナル」が出てくるが、こういう形の演奏は初めてだった。私は大友良英さんの名前をアジア映画を観る中で知ったけど、本来はこういうフリージャズなどの分野で活躍している人だったのですね。
金山敏昭、北井一夫、渡辺 眸3氏の写真もたくさん出てきて、こんなにもたくさんの写真を撮っていたんだとびっくりした。貴重な記録だと思う。北井一夫さんが学生運動の写真を撮っていたのは知っていたけど、渡辺 眸さんがこんなにも学生運動の写真を撮っていたとは知らなかった。そして私自身は、キャパ、一ノ瀬泰三、石川文洋などのベトナム戦争での写真を見て報道写真を志したことを思いだした。私の人生にとってもベトナム戦争はとても大きな影響を受けた出来事だった(暁)。


大阪の隣り、神戸で生まれ育った私にとって、大阪の公立の進学校といえば、北野か大手前という認識でした。その大手前高校から京大に進学された山﨑博昭さん。生きていらしたら、どんな人生を歩まれたでしょう。同級生の方たちの「その後」を、本作で知って、そんなことをまず思いました。
山﨑博昭さんの兄・山崎建夫さんが検死のための解剖に立ち会われた時に、身体がとても奇麗だったと語っていらして、死亡の原因が諸説ある中で、学生たちが奪った装甲車に轢かれたという説は違うと感じました。機動隊に頭部を乱打されたことを原因としたくなかったのではと勘ぐってしまいます。真実はわかりませんが。
山崎建夫さんが見せてくださったお母様の家計簿に書き留められていた言葉に涙が出ました。短い言葉の中に、お母様の無念な思いが溢れ出ていました。

私は1953年生まれで、安保闘争で1960年6月15日に東大の樺 美智子さんが死亡した事件はよく覚えているのですが、1967年に山﨑博昭さんが亡くなられた羽田闘争については記憶が飛んでいました。ずっと学生運動が続いていて、ニュースを見ても、感覚が麻痺して受け付けていなかったのかもしれません。
私が高校2年生だった1969年には、学生運動が高校にも飛び火してきて、私の高校でも2~3か月授業を一切しないで、毎日討論していました。背中を向けて、後ろで本を読んでいたほど関心がありませんでした。
高校闘争は、ハンストをした学生がいて、文理系の区別をなくしたクラス設定にするなどの結論が出されて終止符が打たれました。授業が再開された中、クラブが一緒で親しくしていたF君が、ベ平連(ベトナムに平和を!市民連合)にのめり込んでいき、何を思い詰めたのか自殺してしまいました。
1960年代という時代、大きな歴史のうねりの中で、真剣に社会や政治に立ち向かった若い人たちが大勢いたのに、今の若い人たち(もちろん、元若い人も含めて)には、そんな覇気のある人が少ないと感じます。あの60年代のエネルギーはどこから湧いてきたのかと、ノンポリの私がいうのもおこがましいですが・・・ いろんな思いがよぎった『きみが死んだあとで』、ぜひ若い方たちに観てほしい映画です。(咲)


『きみが死んだあとで』公式HP
(日本/2021年/200分(上巻:96分/下巻:104分)/DCP/5.1ch)
制作:スコブル工房/配給:ノンデライコ/
宣伝:テレザ/企画・製作:きみが死んだあとで製作委員会

大友良英
posted by akemi at 01:23| Comment(0) | 日本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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