2021年03月21日
狼をさがして(原題:The East Asia Anti-Japan Armed Front)
監督:キム・ミレ
撮影:パク・ホンヨル
音楽:パク・ヒョンユ
出演:太田昌国、大道寺ちはる、池田浩士、荒井まり子、荒井智子、浴田由紀子、内田雅敏、宇賀神寿一ほか
1974年8月30日、東京・丸の内の三菱重工本社ビルで時限爆弾が爆発した。8名の死者と約380名の負傷者が出たこの事件は日本社会を震撼させた。事件から1ヶ月後、犯人から声明文が出される。「東アジア反日武装戦線“狼”」と名乗るその組織は、この爆破を「日帝の侵略企業・植民者に対する攻撃である」と宣言。その後、別働隊「大地の牙」と「さそり」が現れ、翌年5月までの間に旧財閥系企業や大手ゼネコンを標的とした“連続企業爆破事件”が続いた。1975年5月19日、世間を騒がせた“東アジア反日武装戦線”一斉逮捕のニュースが大々的に報じられた。人々を何よりも驚かせたのは、彼らが、会社員としてごく普通に市民生活を送る20代半ばの若者たちだったという事実であった。凄惨な爆破事件ばかりが人々の記憶に残る一方で、実際に彼らが何を考え、何を変えようとしたのかは知られていない。
2000年代初頭、釜ヶ崎で日雇い労働者を撮影していた韓国のキム・ミレ監督が、一人の労働者から東アジア反日武装戦線の存在を知り、彼らの思想を辿るドキュメントを撮り始めた。出所したメンバーやその家族、彼らの支援者の証言を追うなかで、彼らの思想の根源が紐解かれていく。
日本の監督でなくて、なぜ韓国の女性監督がこのドキュメンタリーを?と不思議でした。赤軍派を扱った映像は観たことがありましたが、”狼”を詳しく知ったのは初めてです。大道寺将司をはじめとした「東アジア反日武装戦線」の若者たちが、なぜ過激な行動に走って行ったのか、キム・ミレ監督は彼らの足跡を追っていきます。爆弾を使ったテロは彼らの予想を越えて、通行人も巻き込んだ惨事となりました。
過激なテロ集団と報道されていましたが、関係者や支援する人々、刑期を終えた本人の言葉から見えてくるのは、少し違うものでした。虐げられた人々に目を向けられる、その辛苦や思いを想像できる若者たちだったのに、手段がいけなかったと思えるのです。
今、私が年を取ったから言えることで、当時もし近くにいたなら、支援して逮捕された荒井まり子さんは私だったかもしれません。
大道寺将司は釧路出身で、アイヌの人々から土地を奪い搾取した末裔であると言っています。同じく北海道出身ですが、こんなにはっきりと加害者意識は持ちませんでした。韓国や中国の労働者たちが劣悪な環境のもと苦役につき、多くが死んでいったことも知っていきます。ゆがみや本質に気づける人だったのでしょう。小説や映画などで表現したり訴えたりするのでなく、暴力での攻撃になってしまったことが残念です。書簡集や句集を獄中から発表しているので、読んでみるつもり。(白)
1974年~1975年、東アジア反日武装戦線が起こした連続企業爆破事件。この爆破事件が起こった時、「日本はアジアに対して何をしてきたのか。これらの企業は彼らを搾取していた」という彼らの主張はわかるけど、なぜ企業爆破という方法で?と思った。こんなやり方をしたら、彼らの主張に寄り添える人も引いてしまうと思った。そして、その思いというのは、ほとんど社会に伝わらないまま「連続企業爆破事件」という名前だけが残ってしまった。そして、最近では「強制連行はなかった」という人までいる。こんな社会になってしまった日本だからこそ、この映画が伝える意味は大きい。
キム・ミレ監督は1998年から労働運動や人権に焦点をあてたドキュメンタリー作品を撮り始めた。日本の日雇い労働者を描いた『土方』(2005)という作品でソウル人権映画祭人権映画賞を受賞している。2007年に韓国で起こったスーパーで働く女性労働者の占拠運動を撮った『外泊』(2009)は、山形国際ドキュメンタリー映画祭のアジア千波万波部門特別招待作品にも選出され、日本国内でも自主上映された。釜ヶ崎を撮影中に、この事件の関係者と出会い、『狼をさがして』を製作したという。そんな監督だからこそ、この事件の検証に意味がある。「反日」という言葉をやたらに使う人たちにこそ見てほしい。彼らは少なくとも「反日」ではない。なんでも「反日」という言い方で決めつけるのは、あの戦争の時代につながる(暁)。
2020年/韓国/カラー/74分
配給:太秦
(C)Gaam Pictures
http://eaajaf.com/
★2020年3月27日(土)ロードショー
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