2020年10月23日(金)〜角川シネマ有楽町、渋谷WHITE CINE QUINTO、アップリンク吉祥寺、立川シネマシティほか全国順次公開
劇場情報
ミュージシャンが愛したミュージシャン、ザ・バンド
デビューから解散(ラスワルツ)までが語られる
監督:ダニエル・ロアー
製作:スティーブン・パニッチャ、アンドリュー・マンガー、サム・サザーランド、ラナ・ベル・マウロ
製作総指揮:マーティン・スコセッシ、ブライアン・グレイザー、ロン・ハワードほか
撮影:キアラッシュ・セイディ
原案:「ロビー・ロバートソン自伝 ザ・バンドの青春」(ロビー・ロバートソン著、奥田祐士訳、DU BOOKS刊)
出演
ザ・バンド:ロビー・ロバートソン、、リック・ダンコ、レボン・ヘルム、ガース・ハドソン、リチャード・マニュエル
マーティン・スコセッシ、ボブ・ディラン、ブルース・スプリングスティーン、エリック・クラプトン、ピーター・ガブリエル、ジョージ・ハリスン、ロニー・ホーキンス、バン・モリソン、タジ・マハール
ザ・バンドの中心メンバーだったロビー・ロバートソンが語る
伝説のバンドの誕生と栄光、そして、解散
ボブ・ディランをはじめ、世界で活躍するたくさんのミュージシャンたちからリスペクトされている「ザ・バンド」の誕生から解散までを描いたドキュメンタリー。彼らの足跡を、ロビー・ロバートソンが2016年に発表した自伝「ロビー・ロバートソン自伝 ザ・バンドの青春」をもとにたどった。
1959年にカナダでスタートした「ザ・バンド」。最初のメンバーはリヴォン・ヘルムで、その後、ロビー・ロバートソンが入り、リック・ダンコ、リチャード・マニュエル、ガース・ハドソンが入り、ザ・バンドの母体が出来上がる。その後、ボブ・ディランから声がかかり、65年、66年にかけて、彼のバックバンドとしてツアーに出た。1967年から76にかけて活動し、67年にはディランや彼のマネージャー、アルバート・グロスマンの誘いもあって、彼らが当時暮らしていたニューヨーク郊外のウッドストックに移り、ピンクに塗られた「ビッグ・ピンク」と呼ばれる家で創作活動続けた。ブルース・スプリングスティーン、エリック・クラプトン、ピーター・ガブリエル、ジョージ・ハリスン、ロニー・ホーキンス、バン・モリソン、タジ・マハールなど、大物ミュージシャンが登場し「ザ・バンド」の魅力を語る。
「ザ・バンド」の「ラストコンサート」を記録した音楽ドキュメンタリー『ラスト・ワルツ』を作ったマーティン・スコセッシや、ロン・ハワード、ブライアン・グレイザーらも製作総指揮として参加している。監督は若いカナダの新鋭ダニエル・ロアー。アメリカ映画界のベテランたちと組んだことで、いろいろな映像を加えることができ、世代を超えた心に響く作品ができあがった。
私が「ザ・バンド」のことを知ったのは、ボブ・ディランのバックバンドとして演奏している時。それ以前のボブ・ディランはフォークギター1本でソロで歌っていたが、フォークギターからエレキギターに変えたころで、フォークソングファンからはブーイングの嵐だった。ボブ・ディランその声には応えず、「ザ・バンド」を迎え、ロックの道を進んだ。当時そのことを、私も最初は残念に思っていた一人だったが、ザ・バンドとのセッションを見て納得。そしてボブ・ディランは「これでいい」と変わっていった。そのくらい「ザ・バンド」の演奏は素晴らしかった。その影に彼らとのこういう生活があったのだと、この映画で知った。そして伝説になった「ラストコンサート」。
しかし、これはあくまでロビー・ロバートソンの自伝を元にしたドキュメンタリー。兄弟のような絆で結ばれ、ウッドストック、「ビッグ・ピンク」での創作活動、ライブという生活の日々が続くなかで、やがてバンド内に不穏な空気が流れ5人はそれぞれの道を選択する。今となっては5人のメンバーのうち3人が亡くなってしまった。唯一残っているガース・ハドソンのインタビューも撮影されたが映画には使われず、最終的にはアーカイブ映像だけが使用されているとのことなので、やはり、これはロビー・ロバートソン目線の「ザ・バンド」の記憶なのだろう。
この映画を観て、1969年の「ウッドストックのコンサート」がここで行われたのは、彼らがここで暮らしていたことと関係あるのかもしれない」と思ったが、やっぱりそうだった。まさか50年もたってから知るとは思ってもみなかった(暁)。
公式HP
2019年製作/101分/G/カナダ・アメリカ合作
配給:彩プロ
この記事へのコメント
コメントを書く
コチラをクリックしてください