監督:豊島圭介
プロデューサー:竹内明、刀根鉄太
音楽:遠藤浩二
ナビゲーター:東出昌大
出演:三島由紀夫、芥正彦、木村修、橋爪大三郎、篠原裕、宮澤章友、原昭弘、椎根和、清水寛、小川邦雄、平野啓一郎、内田樹、小熊英二、瀬戸内寂聴
1969年5月13日、三島由紀夫は、大学の不正運営などに反対した学生によって始まった学生運動の中でも武闘派といわれた東大全共闘の討論会に、警視庁からの警護の申し出を断り単身で乗り込んだ。およそ1,000人の学生が集まった教室で、2時間半に及ぶ熱い討論を交わす。
警備を断り単身で向う”知の巨人”。「近代ゴリラを論破し、壇上で切腹させる!」と息巻く東大全共闘。潜むは楯の会…さぞや緊迫場面の展開と思いきや、これが礼節とユーモアにあふれたジャブの応酬なのだ。知的好奇心を満足させるには十分過ぎるほどの2時間半に及ぶ討論会を108分にまとめたのは、TBSの倉庫に眠っていたフィルム原盤をレストア・再構築し、50年後の世に問い直そうとする試みから。製作陣の英断を評価したい。
東大教養学部駒場キャンパス900番教室には、三島を迎える1000人の学生たちの息遣い、強烈なカリスマ性を放つ三島の眼光が生々しく漂っているのが伝わる。冒頭、討論会を企画した詰襟姿の全共闘代表が、
「僕は今、紹介する時に思わず”三島先生”と呼んでしまいましたが、そこら辺にいる”知”に胡座をかいた教員たちよりもよほど先生と呼ぶに相応しいからです」
と正直な態度を示したことが討論会の雰囲気を決定付けたように思う。1000人を説得するつもりで臨んだ三島も、学生たちに終始敬意を払う姿勢を崩さない。煽動的な学生の挑発的発言にも乗らず質問には誠実に応じる。一度も逸らすことはなかった。
卑近な例ながら50年前、都心の学生街に住むJCだった自分はアスファルトが剥がされ、火炎瓶が飛び交う様を傍観するしかない子どもだった。市ヶ谷の頭上を飛ぶヘリの音で三島の割腹事件を知ったのがこの翌年と思うと感慨深い。
大人と対等な関係性を築けた当時の学生たちを羨望と感動の思いで見つめていた。全世代が観るべき力作である。(幸)
高校3年生の時、教室で三島由紀夫自決のニュースを聞いたときの、いや~な気分を今でもはっきり覚えている。残念ながら三島由紀夫の小説を読んだことはなかったし、盾の会が右翼というくらいの知識しかなく、なぜあのような行動に出たのかわからなかった。本作を観て、東大全共闘という左翼相手に、ずいぶんまともな討論をしたものだと感じ入った。当時学生だった人たちの今の姿を観られたのも興味深かった。赤ちゃんを膝に乗せて、三島と対峙していた芥正彦氏は、今も尖がった発言をしていた。あの赤ちゃんは今はどうしているのだろう。この映画を観てどう感じるかなと興味津々。
思えば、あの大学紛争は、私たちの高校にも飛び火してきた。1969年後半の2ヶ月ほど、授業をしないで、毎日毎日、教室で討論をしていた。当時、私たちの高校は共学だったのに、クラスは男女別。男子クラスと合同での討論会だったのが救いだった。最後は、数名がハンストしたことで学校側と決着。勝ち取ったのは、文科系理科系の区別をしない男女混合クラス。私は皆に背を向けて本を読んでいたけれど、皆ほんとに真剣に話し合っていた。今の学生たちはどうだろう。政治や社会について、どれだけ真剣に考えているだろうか。(咲)
三島由紀夫は作家と思っていたが、写真集を出し、舞台の演出をし、ヤクザ映画に主演する。マルチな才能を発揮したスーパースターだった! とある雑誌が主催したオール日本Mr.ダンディ投票では、なんと三船敏郎を抑えて1位に選ばれていたことを作品から知った。
東大全共闘との討論では丁寧な語り口でわかりやすく話す。言葉を荒げることなく、若者たちを見守る優しい眼差しが印象に残った。この翌年には割腹自殺をするのだが、討論からその思いを探るというよりも、生前の生き様が浮かび上がってくる作品である。(堀)
私の高校2年~3年、高校卒業の時にかけては1968~70年。高校2年(1969年)の冬、中耳炎をこじらせてしまい、正月明け7日くらいから飯田橋の逓信病院に2,3週間入院した。そして1月18日~19日に東大全共闘の安田講堂の攻防戦が起こった。病院に入院していたけどTVに釘付け。そして部屋の窓から東大方向を見ると、怒号が聞こえ、マスコミや警察のヘリコプターが飛び交うのが見えた。病院は高台にあったのでリアルタイムでその状況を遠目に見て、その攻防戦の音を聞き、TVで解説を聞きという状況の中にいた。高校2年生ながらその衝撃は大きかった。その時にたくさんの全共闘の闘士が逮捕されてしまったと思ったけど、この年の5月に東大駒場で「三島由紀夫vs東大全共闘」の討論会が行われたと今回知り驚いた。
安田講堂の攻防戦の後、学生運動は沈下してしまったと思っていたけど、そうではなかったと知った。そして、このような討論会を開催していたんだということを50年後に知るとは。この討論会はこの当時TVで放映されたのだろうか。右翼と左翼が、あのように冷静に討論できていたということに驚いた。
私はといえば、あの入院前、高校2年の秋くらいからべ平連のデモに出かけていたし、退院後の高校3年生の時にも学生服のままデモに行っていた。きっと卒業までに20回以上は都心のデモに参加していたと思う。全共闘の学生たちも参加していたけど、私自身は暴力で平和は築けないと思っていたので、ヘルメットに角材を持って参加する彼らの姿には、同じ思い、共感はあったもののなんか違和感があった。そして三島由紀夫や右翼の思想にはもっと違和感があった。でも、この討論の内容を見て、右翼も左翼も「この日本の状況をなんとかしたい」という思いで行動を起こしているのは同じだったんだと思った。他人の思いを尊重し、思いは違っても意見は聞くという姿勢。それは今も大事なことと思い、他を蹴落として、自分たちの思想を押し付けるということのない世界を築いていかなければならないと思った。そして、運動は終わっていない。今も活動家たちは行動しているのだと思った。私も行動し続けている(暁)。
2020年製作/108分/G/日本
配給:ギャガ
製作:映画「三島由紀夫vs東大全共闘」製作委員会
制作:ツインズジャパン
(C) 2020映画「三島由紀夫vs東大全共闘 50年目の真実」製作委員会 (C) SHINCHOSHA
公式サイト:https://gaga.ne.jp/mishimatodai/
★2020年3月20日(金)より全国公開★
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