2019年05月19日

作兵衛さんと日本を掘る

2019年5月25日 ポレポレ東中野公開

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©2018 オフィス熊谷

未来へ突き抜ける炭鉱力。ゴットン。

監督:熊谷博子
撮影:中島広城、藤江潔
照明:佐藤才輔
VE:奥井義哉
出演
井上冨美 (作兵衛の三女)
井上忠俊 (作兵衛の孫 三女の長男)
緒方惠美 (作兵衛の孫 作兵衛の三男の長女)
菊畑茂久馬 (作兵衛の画集「王国と闇」を世に出した画家)
森崎和江 (作家 筑豊に住み、女性解放などをテーマに本や詩集を出す。「からゆきさん」で知られる。女鉱夫への聞き書きなどを続けた)
上野朱 (炭鉱労働者の自立と解放の運動拠点である「筑豊文庫」を開設した記録作家上野英信の長男)
橋上カヤノ(9歳から筑豊で育ち、19歳で結婚してから夫と共に坑内で働いた。2015年105歳で亡くなった)

福岡県筑豊の元炭鉱夫、山本作兵衛さん(1892~1984)が描いた炭鉱の記録絵と日記697点が日本初のユネスコ世界記憶遺産に登録されたのは2011年5月25日。暗くて狭い、熱い地の底で石炭を掘り出す男と女。命がけの労働でこの国の発展を支えた人々の生々しい姿。作兵衛さんは幼い頃から炭鉱で働いていた。専門的な絵の教育は一度も受けていないが、自分の体験した労働や生活を子や孫に伝えたいと、60歳半ば過ぎから本格的に絵筆を握り、2000枚とも言われる絵を残した。
石炭を掘り出す作業は先山と運び出す後山の二人一組で、先山は男性、後山は女性。夫婦が多かったが、兄妹、姉弟のこともあり家族労働が主だった。女性の炭鉱内労働は1930年に禁止されたが、筑豊では戦後まで続いたという。
作兵衛さんが記録画を描き始めたのは、国策で石炭から石油へのエネルギー革命で炭鉱が次々と閉山していく頃。さらに、その裏で原子力発電への準備が進んでいた。炭鉱労働者は、今度は原子力発電所に流れていった。作兵衛さんは自伝で「底の方は少しも変わらなかった」と残している。
監督は作兵衛さんの残した記憶と向き合い、104歳の元女炭鉱婦を老人ホームに訪ねて、当時の炭鉱道具の使い方を教わったり、筑豊に住む作家森崎和江さんのほか、作兵衛さんの三女、孫、炭鉱労働者の自立と解放のための運動拠点を作った上野英信さんの長男など、作兵衛さんを知る人々の証言を聞き取り日本の近現代史をみつめた。

山本作兵衛さんのことを知ったのは、萩原吉弘監督の『炭鉱(ヤマ)に生きる』(2006)を観た時。すごく驚いた。炭鉱で働く人々を描いた数々の絵のインパクト、絵の力強さに衝撃を覚えた。そしてその絵でかつて炭鉱で女性も坑内で働いていたということを知った。その作兵衛さんの絵が2011年5月にユネスコ世界記憶遺産に登録された時には、すごく納得がいった。それだけのことはあると嬉しかった。その後、2013年に東京タワーで作兵衛さんの絵の展覧会が開かれたときに見に行った。原画との対面で、絵を見ていくうちに涙が出た。
それらの絵がいとおしかった。そして明治・大正・昭和の時代に炭鉱で働いていた人たちに想いを馳せた。絵の力強さ、細かさ、作兵衛さんの炭鉱に働いていた人たちへの愛情と孫や後の世代の人に伝えたいという想いが伝わってきた。作兵衛さんの絵は素晴らしい!!(暁)

熊谷博子監督へのインタビュー記事はこちら

2018年 日本
配給 オフィス熊谷
公式HP
posted by akemi at 21:34| Comment(0) | 日本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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