監督:イ・ジュンイク(『王の男』『空と風と星の詩人 尹東柱(ユン・ドンジュ)の生涯』)
出演:イ・ジェフン、チェ・ヒソ、キム・インウ、キム・ジュンハン、山野内扶、金守珍
1923年(大正12年)、東京。有楽町にある通称「社会主義おでん屋」で働く金子文子は、「犬ころ」という詩に心惹かれ、この詩を書いた朝鮮人アナキストの朴烈(パクヨル)に同棲を提案。恋人として、唯一無二の同志として、二人は生きることを決め、日本人や在日朝鮮人による「不逞社」を結成する。日本統治下で従順でない朝鮮人が「不逞鮮人」と呼ばれていたのを逆手に取った名前だった。
9月1日午前11時58分、関東大震災発生。「朝鮮人が暴動を起こしている」という流言が広がり、9月2日、戒厳令が公布される。多くの朝鮮人が虐殺される中、9月3日、朴烈と金子文子は、保護検束される・・・
治安警察法違反容疑で起訴され、一旦は死刑判決が出た後、恩赦で無期懲役となった二人。だが、金子文子は、1926年、23歳の若さで獄死する。「何が私をこうさせたか -獄中手記」(岩波書店)という自伝を遺していて、生き様に触れることができる。
文子は、1903年に両親が籍を入れないままに生まれ、無籍で小学校に行けなかった。親類の家を転々とし、9歳から16歳まで、日本に併合された韓国で過ごし、1919年、独立運動を目の当たりにした直後に帰国。日本の植民地主義に反対し、無政府主義者として朴烈と共に国家権力に対して闘った。
潔い女性 金子文子を体現したのは、韓国の女優チェ・ヒソ。大阪・建国小学校で学んだ彼女は、完璧な日本語を話す。一方、日本人という役柄、日本人には発音出来ない朝鮮語の音を意識して話している。
大正時代に、こんな飛んだ女性がいたのかと驚かされた一作。
朴烈がかすんでしまうほどだったが、当の朴烈は、日本の敗戦で1945年10月に出所。1946年10月に在日本居留民団を結成し、初代団長となる。1949年に韓国に帰国するも、朝鮮戦争中に北朝鮮軍に捉えられ、北朝鮮に連行され、1974年北朝鮮で亡くなる。享年71歳。処刑されたと言われていて、実に彼も激動の人生を送っている。
『建築学概論』で初心な青年を演じたイ・ジェフンが、本作では朴烈に限りなく近づく外見に変貌し、日本語も学んでアナキスト朴烈に成り切っている。
また、当時の内務大臣・水野錬太郎を筆頭とする日本政府を劇団「新宿梁山泊」のメンバーが演じているのも見どころ。
『空と風と星の詩人 尹東柱(ユン・ドンジュ)の生涯』で、日韓併合時代の朝鮮人の運命を描いたイ・ジュンイク監督が再び放ってくれた渾身の映画。当時の人々に思いを馳せたい。(咲)
函、表紙、カバー
この試写が始まる少し前に、本棚を整理している旧友から「読んでみて」と金子文子の黒色戦線社版(再刷増補決定版)「何が私をかうさせたか」と歌集が送られてきました。旧仮名遣い、ルビ入りです。自分の生まれから朴烈と出逢うまでの記述に加えて、再版には短歌百余、「不逞社」で書かれた記事、また手紙などが収められています。小学校にもろくに通わせてもらえなかった文子が、21,2歳でこれだけの文章を書いていたことに驚きました。幼少期からの苛烈な境遇に屈せず、強い精神と思想を育んでいながら(いや、だからか)自死してしまったのが惜しいです。
聡明な彼女は、たとえ権力が交代してもまた同じ繰り返しになるだろうということも書いています。人の悪意や欲に傷つき、骨身に刻まれていることから出ている虚無感でしょう。朴烈と離れ離れに獄につながれ、死刑判決から無期懲役の恩赦を得て生き永らえることは、魂の死であったはず。ただこの二人に悲壮感は感じられません。文子は被告席でとうとうと持論を展開して、場を得た高揚感さえ覚えたのではないかしらん。
チェ・ヒソとイ・ジェフンの演じる二人(なんだかとても色っぽい)に、本当にこういう人たちだったかも、と想像。ガード下に響いていただろう文子の明るい声を思いました。瀬戸内寂聴「余白の春」にも、文子が書き留められています。(白)
2017年/韓国/129分/DCP
提供:太秦、キノ・シネマ
配給・宣伝:太秦
公式サイト:http://www.fumiko-yeol.com/
★2019年2月16日(土)よりシアター・イメージフォーラムほか全国順次公開