2023年03月04日
書かれた顔4Kレストア版(原題:The Written Face)
監督・脚本:ダニエル・シュミット
撮影:レナート・ベルタ
プロデューサー:堀越謙三
出演:坂東玉三郎(5代目)、武原はん、杉村春子、大野一雄、蔦清小松朝じ、坂東彌十郎、宍戸開、永澤俊矢
未知の映画作家が次々と日本へ紹介され、ミニシアター・ブームが巻き起こった1980年代。蓮實重彦ら日本の映画人によって“発見”されたダニエル・シュミットは、退廃的な映像美で世界中に熱狂的なファンを生んだ。子供のような心を持ち、芸術への造詣が深くオペラ演出家としても知られたシュミットと、日本の文化人・映画人との深い親交から生まれた『書かれた顔』。
虚構と現実をないまぜにした幻想的な作品を得意とするシュミットは、女形という特異な存在を通して、ジェンダー、生と死、そしてフィクションとドキュメンタリーの境界線上に、虚構としての日本の伝統的女性像を浮かびあがらせる。(公式HPより)
ずっと以前にテレビで、玉三郎さんの舞台にかけるまでの準備、幕間の姿やインタビューなどを見たことがあります。素顔も綺麗な方で、舞台姿がさらに美しく妖艶なのにうっとりしました。この作品には「鷺娘」「大蛇」「積恋雪関扉」、この作品だけの「黄昏芸者情話」で、さまざまな表情を見ることができます。撮影後、亡くなられた方々のお元気な映像が残されているのも貴重です。
当時日本で最年長の「現役芸者」であった蔦清小松朝じさん(101歳)のかくしゃくとした姿に脱帽。ダニエル・シュミット監督も2006年に亡くなられました。
日本初公開は1996年3月23日。27年前になります。4Kレストア版として再上映されますので、玉三郎さん、歌舞伎、舞踊のファンの皆様はこの機会をお見逃しなく。(白)
★来場者特典のポスターはこちら
玉三郎さんが、舞台の上で演じる妖艶な姿だけでなく、白塗りして女の顔を作っていく様、芝居小屋の奈落(舞台の下)を歩く姿、女形を演じる自分について語るところなど素の姿もたっぷり見せてくれます。
玉三郎さんの踊りを際立たせる歌舞伎音楽の担い手たちの姿や、衣装を早変わりさせる裏方の人たち、そして熊本県山鹿の八千代座や、愛媛県の内子座という伝統的な芝居小屋の美しさもダニエル・シュミット監督はしっかり描き出しています。
昨年亡くなった私の父は、歌舞伎や文楽の研究者でした。私の歌舞伎初体験は、中学生の時の京都・南座の升席という贅沢なものだったのに、その後、あまり関心を持たず、願えば観る機会は得られたのに、年に1度行くかどうかでした。それでも、父に連れられて内子座に行き奈落も歩かせてもらったことは貴重な経験です。本作を観て、あらためて日本の伝統文化としての歌舞伎の素晴らしさを感じました。(咲)
1995年/日本・スイス合作/カラー/ヴィスタ/94分
配給:ユーロスペース
(C)1995 T&C FILM AG / EURO SPACE
https://kakaretakao.com/
★2023年3月11日(土)ロードショー
飯館村 べこやの母ちゃん それぞれの選択
監督・撮影:古居みずえ
編集:新⾕拓治
整⾳:Cinema Sound Works Co.(渡辺丈彦)
製作:映画「飯舘村の⺟ちゃん」制作⽀援の会
出演:中島信⼦、原⽥公⼦、⻑⾕川花⼦
第⼀章:故郷への想い |中島信⼦さん(⽐曽地区)
「うちにいるよ」ってここ(飯舘)でならすんなりと出るの。なぜか不思議だな
第⼆章:べことともに |原⽥公⼦さん(飯樋地区)
⽜飼いは⼆⼈三脚でないとできないの。お互いに同じ⽅向を向かないと
第三章: 帰村|⻑⾕川花⼦さん(前⽥地区)
じゃみんなで飯舘に帰ろうねって⾔ったの
飯館村は畜産・酪農業が盛んで、飯舘の和牛はブランド牛として有名であったそうです。村民は6180人、牛が約3000頭ほどもいたとか。
東日本大震災に襲われた2011年当時、原発から3㎞圏内はとるものもとりあえず即日避難。そして10㎞、20㎞と範囲が広がります。30㎞離れた飯舘村では、計画的非難区域に入り全村避難となったのは震災から1ヶ月も後。牧草も放射線量が高く、食べさせることも出荷することもできなくなりました。家族のように大切に育てたべこ(牛)たちを手放す苦渋の決断をせまられます。
前作『飯舘村の母ちゃんたち 土とともに』(2016)に続き、古居みずえ監督が酪農家の母ちゃんたちを映像に残しました。通算10年の母ちゃんたちの想い、こぼれてきた言葉がそこにあります。
今年は大震災から12年。亡くなられた方々の13回忌になります。どれほど時間が経とうが、あったことはなくなりません。少しずつ傷が癒えることを願うばかりです。(白)
長年、イスラエル占領地で暮らすパレスチナの女性たちを取材してきた古居みずえ監督。東⽇本⼤震災を記録しなければとの思いに駆られていた時、原発事故で放射能汚染され、故郷を追われることになった飯舘村の人たちが、故国を追われ難民として生きるパレスチナの人々の姿と重なりました。飯館村でも、理不尽な思いを抱えながら、たくましく生きる女性たちを10年の歳月にわたって丁寧に捉えています。
飯館村は、3分の1が開拓農家でした。満州引き揚げなど戦争で職を失った人や移住してきた人たちが、開拓で国にあてがわれた土地は石ころだらけで耕作に向かず、多くがべこや(牛飼い)を生業としました。
第⼀章 中島信⼦さんの父は、1930年代後半、国策として満州開拓団として送られた27万人の一人でした。軍に召集され戦後シベリアに3年間抑留。母はやっとの思いで帰国するも娘二人(信子さんの姉)は日本に着いてすぐ亡くなってしまったとのこと。父が帰国後、信子さんが生まれ、7歳の時に南相馬から飯館に移住。両親が苦労して開拓してきた地を離れることになり、信子さんは「早く戻れますように」と両親にお供えします。
その後、飯館村に帰った人、戻らない決断をした人、それぞれの思いが胸に沁みました。あの原発事故さえなければという思いは、皆、同じでしょう。想定外という言葉で片付けてほしくないし、これ以上、国策に翻弄される人たちがいないよう願うばかりです。(咲)
東日本大震災による福島第一原発事故の後、避難を余儀なくされた飯舘村の人々。村の大半は17年に避難指示が解除されたものの、事故前の人口6000人余りのうち、帰村率は3割ほどという。避難から6年もたち、新しい生活基盤を避難先で築いた村民の多くは生活環境などを考慮して村外に暮らす。役場や住宅地、学校などは除染が進んだが、7〜8割を占める山林の除染は徹底されていないという状況では、「帰っていい」と言われても躊躇せざるを得ないだろう。しかも子供たちはよけいそんな場所に帰せない。こんな状況なのに、政府は原発の再稼働、新設をしようとしている。原発事故で故郷を追われた人たち、かけがえのない生活を奪われた福島の人たちの痛みを10年たったら忘れてしまったのか。原発との共生など考えられない。また福島のような事故が起きてしまってからでは取返しがつかない(暁)。
☆古居みずえ監督のパレスチナ関連の映画と登壇したトーク
『ガーダ パレスチナの詩』(2007年)
http://www.cinemajournal.net/review/2006/index.html#ghada
『ぼくたちは見た ガザ・サムニ家の子どもたち』(2011年)
http://www.cinemajournal.net/review/2011/index.html#bokutachiwamita
東外大 パレスチナ/イスラエル映画祭―こどもと明日と未来を考える―
http://www.cinemajournal.net/special/2011/palestina-israel/index.html
★舞台挨拶開催★
ポレポレ東中野 3/11(土)3/12(日)
登壇者:古居みずえ監督、中島信子さん、長谷川花子さん(出演者)
横浜シネマリン 3/21(火祝)
登壇者:古居みずえ監督
フォーラム福島 4/1(土)12:30の回、上映後
登壇者:古居みずえ監督、中島信子さん、長谷川花子さん(出演者)
大阪・シアターセブン
劇場イベント 3/18(土)
登壇者:古居みずえ監督、岡崎まゆみさん(『40年 紅どうだん咲く村で』監督)
舞台挨拶 3/19(日)
登壇者:古居みずえ監督
2022年/日本/カラー/180分
配給協⼒・宣伝:リガード
© Mizue Furui 2022
公式サイト:https://iitate-bekoya.com/
★2023年3月11日(土)~17日(金)ポレポレ東中野にて1週間限定ロードショーほか全国順次公開