2022年07月08日
魂のまなざし(原題:HELENE)
監督:アンティ・ヨキネン
出演:ラウラ・ビルン ヨハンネス・ホロパイネン クリスタ・コソネン エーロ・アホ ピルッコ・サイシオ ヤルッコ・ラフティ
1915年、ヘレン・シャルフベック(ラウラ・ビルン)は、いわば忘れられた画家であり、フィンランドの田舎で高齢の母と一緒に暮らしていた。最後の個展から何年もたっていたが、ヘレンは、栄光のためではなく内から湧き出す情熱のためだけに描き続けていた。そこへ画商のヨースタ・ステンマン(ヤルッコ・ラフティ)が訪ねてきて、小さなあばら家にあふれていた159枚の絵を発見した。その圧倒的な才能に驚嘆した彼は、首都ヘルシンキでの大規模な個展開催を決意する。しかし、ヘレンにとって真の転機は、ヨースタが、エイナル・ロイター(ヨハンネス・ホロパイネン)を彼女に紹介した時に訪れた。森林保護官でアマチュア画家でもあった青年エイナルは、ヘレンと作品の熱狂的な崇拝者というだけにとどまらず、彼女にとってかけがえのない友人そして愛の対象となる。
主人公の女性画家ヘレン・シャルフベックはモダニズムを代表する芸術家の一人として近年世界的に評価されているフィンランドの国民的画家とのこと。本作で初めて名前を知り、作品を見たが、時期によって作風が違う。そのときそのときの心の移ろいが作品に現れているのだろう。
本作はヘレンが53歳から61歳までの中年期8年間を描く。ヘレンは19歳年下の男性エイナル・ロイターと知り合い、胸をときめかせる。エイナルを演じたヨハンネス・ホロパイネンが男女の愛ではなく、あくまでも人間としての敬意であることをうまい塩梅で表現しているので、勘違いしているヘレンが痛々しい。とはいえ、ヘレンを演じたラウラ・ビルンが表情に初々しさをにじませるので、放っておけない気持ちにもなる。
現代なら男女の年齢差が19歳あっても乗り越えられるかもしれない。しかし、当時のように男性優位の時代では、妻はあくまでも自分の下にいる存在。自分よりも優れた女性と結婚する発想は男性にはなかったのだろう。結婚生活は年下の女性と送りつつ、精神的満足はヘレンとの関係で充足させる。彼にとって何の疑問もない選択だったに違いない。(堀)
冒頭、男性に取材を受けるヘレン・シャルフベック。「なぜ戦争や貧困を描くのか? 女流画家にふさわしくない」と言われ、「着想は自らの内と外の両方から生まれるもの。女流のレッテルを貼られたくない。一人の画家」ときっぱり答えるヘレン。けれども、女であるだけで差別された時代。母親でさえ、食卓でお肉は男性が先にとヘレンに諭します。159枚の絵が売れて大金が入ると、兄は「女の物は男の物」と当然のごとく要求するのですが、ヘレンは拒否します。決して、慣例に屈しない女性だったようです。そんな彼女も、19歳年下のエイナルには心を開き、仲睦まじく湖に向かって座り、絵を描く姿が微笑ましいです。エイナルが可愛らしい婚約者を連れてきて打ちのめされるのですが、友情は失いたくないというエイナルの言葉に、ほんのり芽生えた恋心を封印。83歳で亡くなるまで、エイナルと交わした手紙は、1100通! 生涯独身だったヘレンですが、わかりあえる人と出会えて、それはそれで幸せだったのではないかと想像します。(咲)
2020年/フィンランド・エストニア/122分/字幕:林かんな
配給:オンリー・ハーツ 後援:フィンランド大使館 応援:求龍堂
©Finland Cinematic
公式サイト:http://helene.onlyhearts.co.jp/
★2022年7月15日(金)Bunkamuraル・シネマ他にて順次公開
戦争と女の顔(原題:Dylda)
監督・脚本:カンテミール・バラーゴフ
共同脚本:アレクサンドル・チェレホフ
原案:『戦争は女の顔をしていない』スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチ, 三浦みどり 訳(岩波現代文庫)
音楽:エフゲニー・ガルペリン
撮影:クセニア・セレダ
出演:ヴィクトリア・ミロシニチェンコ、ヴァシリサ・ペレリギナ、アンドレイ・ヴァイコフ、イーゴリ・シローコフ
1945年、終戦直後のレニングラード。第二次世界大戦の独ソ戦により、街は荒廃し、建物は取り壊され、市民は心身ともにボロボロになっていた。史上最悪の包囲戦が終わったものの、残された残骸の中で生と死の戦いは続いていた。多くの傷病軍人が収容された病院で働く看護師のイーヤ(ヴィクトリア・ミロシニチェンコ)は、PTSDを抱えながら働き、パーシュカという子供を育てていた。しかし、後遺症の発作のせいでその子供を失ってしまった。そこに子供の本当の母であり、戦友のマーシャ(ヴァシリサ・ペレリギナ)が戦地から帰還する。彼女もまた後遺症や戦傷を抱えながらも、二人の若き女性イーヤとマーシャは、廃墟の中で自分たちの生活を再建するための闘いに意味と希望を見いだすが...。
30歳を過ぎたばかりのカンテミール・バラーゴフ監督がノーベル文学賞を受賞したスヴェトラーナ・アレクシエーヴィチのデビュー作『戦争は女の顔をしていない』を原案に、戦後の女性の運命をテーマに脚本を書いた。カンヌ国際映画祭「ある視点」部門でプレミア上映され、国際映画批評家連盟賞と監督賞をダブル受賞したほか、50を超える世界各国の多くの映画祭で上映、30を超える映画賞を受賞している。バラク・オバマ元米大統領が年間ベストに選出したことでも話題になった。日本では『戦争は女の顔をしていない』が書籍だけでなく、コミックとしても販売されている。
主人公であるイーヤとマーシャはスナイパーとして従軍していたとのこと。「現代ならともかく、第二次世界大戦で女性がスナイパー?」と思うかもしれない。調べたところ、ソ連では第二次世界大戦時に多くの女性兵士が男性同様に前線で戦っており、リュドミラ・パヴリチェンコは309人を狙撃したと記録に残っている。女性のスナイパーは決してフィクションではない。
イーヤとマーシャは2人とも戦争による後遺症を抱えており、イーヤが看護師として働く病院には多くの傷病軍人が収容されている。戦争は勝っても負けても心や体に大きな傷を残すのだ。しかもマーシャは戦後になっても戦場に行っていない同胞の女性から侮蔑的な扱いを受けた。マーシャの心の痛みはいかばかりか。反戦を訴える監督の強い意志が全編から伝わってきた。(堀)
冒頭、何を思い出すのか、茫然と立ち尽くす背の高い女性イーヤ。傷病軍人が多く入院する病院で看護師として働くイーヤは、彼女自身、戦場を経験していて、その記憶に苛まされているのです。幼い男の子パーシュカを一人で育てているイーヤに、院長は「死者が出たので、その分の食糧を坊やのために」と配慮してくれます。
やがて戦地からマーシャという女性が帰還して、彼女がパーシュカの生みの母で、なぜイーヤが代わりに育てていたのかを観ている者は知ることになります。
我が子が亡くなったことを知ったマーシャが、心を癒すためにどうしても子どもが欲しいと画策するのですが、これがもう凄い展開。(ぜひ劇場でご確認ください。)
英題『Beanpole』は、「のっぽさん」という意味。背の高いイーヤは、親友マーシャからも傷病兵たちからも、のっぽさんと親しまれています。病院の台所で働く年配の男性から、「イーヤはギリシャ語でスミレという意味だよ」と聞かされます。まさにスミレのように純粋なイーヤ。ナンパされ、相手の男の腕をへし折るほど純なのです。親友マーシャのことが大好きで、マーシャにつきまとうウブな男サーシャが疎ましくて追い払おうとします。
戦地で壮絶な経験をしたイーヤとマーシャが深い絆で結ばれ、なんとか生き抜こうとする姿が描かれているのですが、一方で、戦地から生還したものの、首から下が不随になってしまい、家族の重荷になるから死にたいという男性の姿も本作では描かれています。1945年を舞台にした物語ですが、今も世界各地で戦争の犠牲になる人が後を絶ちません。民間人だけでなく、お国のためにと否応なく戦地に行かされる兵士も犠牲者であることを、本作はずっしりと伝えてくれます。皆が平穏に暮らせる世界はいつ実現するのでしょう・・・ (咲)
ロシア/ロシア語/2019年/137分/DCP/カラー/字幕翻訳:田沼令子/ロシア語監修:福田和代/PG12
配給:アットエンタテインメント
(C) Non-Stop Production, LLC, 2019
公式サイト:https://dyldajp.com/
★2022年7月15日(金)、新宿武蔵野館、ヒューマントラストシネマ渋谷ピカデリーほか、全国順次ロードショー
炎のデス・ポリス(原題:COP SHOP)
監督:ジョー・カーナハン
脚本:クルト・マクラウド、ジョー・カーナハン
出演:ジェラルド・バトラー、フランク・グリロ、アレクシス・ラウダー、トビー・ハス
ある夜、砂漠地帯にたたずむ警察署に、暴力沙汰を起こした詐欺師テディ(フランク・グリロ)が連行されてくる。マフィアのボスに命を狙われ、身を守るためにわざと逮捕されたのだ。しかしマフィアに雇われたスゴ腕の殺し屋ボブ(ジェラルド・バトラー)も泥酔男に成りすまし、留置所に入ってくる。新人警官ヴァレリー(アレクシス・ラウダー)の活躍によってボブのテディ抹殺計画は阻止されるが、マフィアが放った新たな刺客、サイコパスのアンソニー(トビー・ハス)が現れて署員を皆殺しにし、小さな警察署はまるで戦場のような大惨事に…。孤立無援の危機に陥ったヴァレリーと裏社会に生きる3人の男たちによる壮絶な殺し合いを生き抜き、朝を迎えられるのは誰なのか。
(堀)
2021年/アメリカ/英語/107分/カラー/シネマスコープ/5.1ch/日本語字幕:橋本裕充/PG12
配給:キノフィルムズ
©2021 CS Movie II LLC. All Rights Reserve
公式サイト:https://copshop-movie.jp/
★2022年7月15日(金)、闘わなければ、死んじゃうんデ
掟の門 (正・続編)
監督・脚本・撮影・編集:伊藤徳裕
出演:岡部莉子(橘さやか)、松谷鷹也(堤和也)、石本径代(関佳子)、佐伯日菜子(天野裕子)、鈴木博之(大上刑事)
2020~2021年の東京。橘さやかは上京して看護師長の叔母・関佳子の家から看護学校に通っていた。世界中で新型コロナウイルスが猛威をふるい、日本も例外ではなかった。叔母の勤務先の病院でクラスターが発生し、最前線にいた叔母が感染して急逝した。さやかは残された高校生の従妹と暮らし、検査は陰性だったがコロナウイルスの「限局性恐怖症」になってしまった。看護学校を続けられるか不安に陥っていたとき、公園でテニスをしていた堤和也に出逢う。少し言葉を交わしただけだったが、気になる存在になった。和也は劇団で活動しながらコンビニでバイトをしている。家に押し入ってきた見知らぬ男が、和也の父親が自分の妻に手を出したと騒ぎだす。(92分)
掟の門(続編)
2021年4月。さやかは看護師一年生になった。コロナの先行は見えず2020年のオリンピックは1年延期され、2021年夏に開催されることになった。斎藤美紀(大塚奈々穂)はアーチェリー選手として最有力視されていたが、選考会前にコロナ陽性とわかってホテルで隔離療養していた。出場は辞退せざるを得なかった。ホテルで悶々と日々を送るうち、壁のカレンダーに前の患者が残したメモを見つける。「私は孤独 この監獄から出られたら連絡を」美紀は連絡をとって会いに行く。メモを書いたのは古関まゆみ(伊神沙恵)、和也の父親を誘惑した女性だった。2人は初対面にもかかわらず、同じ部屋で療養体験をした者同士、心のうちを話していく。(93分)
コロナ以前をカラー、コロナ禍中の現在をモノクロで撮影。スタッフは伊藤徳裕監督一人、今撮らなければという意識につき動かされていたそうです。正・続編ともにヒロインのさやかと、その叔母の佳子が看護師なのが肝になっています。神経質になったり迷ったりもしながら、さやかは一人前の看護師になりたいと頑張っています。だんだん笑顔が出るのにホッとしました。
続編のほうが娯楽性は高く、ドラマチック。登場する誰もがコロナに翻弄され、いくつかの事件がおきます。微妙に絡まり関わっていて「コロナが悪い」「この世は理不尽だ」と嘆きますが、みんなが犯罪に走るわけではありませんからね。
さやかが和也に会ったときに手にしていて、和也が目を止めたのが、カフカの著作「審判」。後に和也も同じ本を読んでいます。その中に「掟の門」の逸話があり、タイトルはそこから。法と罪と罰についての話のようで、読んでみると監督の思いがもっと判りそう。
伊藤監督は新聞記者を経て映画制作を学び、短編を発表したのちこの2本の長編を作りました。コロナが蔓延してからあれあれと言う間に2年余り、ニュース映像もはさんでこれまでの経過がわかる作りです。
大上刑事が続編で活躍、伊藤監督の映画愛を一番背負っているのがこの人、という気がしました。(白)
2021年/日本/モノクロ一部カラー/
配給:N・I FILM
(C)N・I FILM
https://okitenomon-1.jimdosite.com/
正編★2022年7月9日(金)より
続編★2022年7月10日(土)より15日(金)まで池袋シネマ・ロサにて緊急ロードショー
舞台挨拶のお知らせ
7月15日(金)会場は池袋シネマロサ地下
18時の回終了後 19時40分より
登壇者:大塚奈々穂さん、井神沙恵さん、松谷鷹也さん、伊藤徳裕監督、坂本梨紗さん(司会)
WANDA/ワンダ(原題:Wanda)
監督:脚本:バーバラ・ローデン
撮影・編集:ニコラス T・プロフェレス
制作協力:エリア・カザン
出演:バーバラ・ローデン(ワンダ)、マイケル・ヒギンズ(Mr.デニス)
ペンシルべニアの炭鉱町に住むワンダは、夫に離別をつきつけられ離婚審問に出なければならない。近所の老人にお金を無心しバス代を手に入れた。出廷したワンダの髪にはカーラーがついたまま。夫の痛罵にも表情を変えず離婚も子どもを手放すことも認めて町に出ていった。ビールをおごってくれるならどんな男とでもベッドを共にする。捕まえたり逃げられたりした後、寂れたバーでMr.デニスという小悪党に出逢った。ワンダはビールとベッドのため、彼の言うままに犯罪の片棒をかつぐ羽目になる。
バーバラ・ローデンをこの映画で初めて知りました。撮影監督兼編集者のニコラス T・プロフェレスと共同で、11万5千ドルというわずかな予算で監督・脚本・主演で制作したロードムービー。自信も行く当てもなくふわふわしたワンダはバーバラ自身であったのかもしれません。
そのころは23歳年上のエリア・カザンと結婚 (1967年 - 1980年)していたそうで、この映画の男優の衣裳はエリア・カザンのものだったとか。この1本を作っただけで、やめてしまったというのが惜しいです。1970年ヴェネツィア国際映画祭最優秀外国映画賞を受賞していますが、アメリカ本国ではウーマンリブの全盛期で、ヒロインの受動的な生き方が受け入れられなかったのか、ほぼ黙殺されたそうです。こうとしか生きられなかったワンダ、彼女を利用する男を描くことがバーバラなりの告発であり、闘いではなかったかと思うのですが。その後次作をつくることなく、癌を患い48歳で永眠。この映画は遺作となりました。(白)
冒頭、泣いている赤ちゃんをあやしている女性。男が出ていくと、ソファで寝そべっていた女性が、「私がいると不機嫌ね」と起き上がる。この寝ていた方の女性がヒロインのワンダ。髪にカーラーをつけたまま離婚調停の場に遅れていき、「育児も家事もしないひどい妻」と夫に指摘されるまま、離婚を承諾し、二人の子の親権も放棄。二日勤務した縫製工場に給金を貰いがてら、雇ってもらおうと思うも、作業が遅いと断られる。浮遊するように入った酒場で知り合った男についていき・・・と、同情の余地なしのダメダメ女ぶりを演じているのが、なんと、監督したバーバラ・ローデンご本人。しかも、『エデンの東』のエリア・カザン監督の妻! そんなバーバラ・ローデンが、従順な女性像に疑問を持って作ったのが、『WANDA/ワンダ』という次第。そう思って観ると、ワンダは実に自由人に見えてきます。それにしても、この物語、どこに向かうのか、どう着地するのか・・・と、目が離せなくなりました。もちろんハリウッド的な着地などしません。50年も前に、まだアメリカで女性監督があまりいなかった時代に、こんなとんでもない映画をよくぞ作ったと思います。
1970年ヴェネツィア国際映画祭最優秀外国映画賞を受賞し、71年カンヌ国際映画祭で上映された唯一のアメリカ映画でありながら、アメリカではほぼ黙殺。
フランスの小説家・ 監督のマルグリット・デュラスに「奇跡」と称賛された本作。閉鎖前のハリウッド・フィルム&ビデオ・ラボに放置されていたオリジナルのフィルムが運よく廃棄処分から救い出され、修復を施されて蘇った経緯は、ぜひ公式サイトでお読みください。粒子の粗い16mmフィルムの質感を残した修復もまた、作った当時のバーバラ・ローデンの思いを伝えてくれます。(咲)
1970年/アメリカ/カラー/シネスコ/102分
配給:クレプスキュールフィルム
(C)1970 FOUNDATION FOR FILMMAKERS
https://wanda.crepuscule-films.com/
★2022年7月9日(土)シアター・イメージフォーラムほか全国順次公開