2021年03月21日

水を抱く女   原題:Undine

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監督・脚本:クリスティアン・ペッツォルト(『東ベルリンから来た女』)
出演:パウラ・ベーア、フランツ・ロゴフスキ、マリアム・ザリー、ヤコブ・マッチェンツ

ギリシャ神話に登場する水の精 ウンディーヌ。
人間との結婚によってのみ不滅の魂を得ることができる女性の形をした水の精霊。
愛する男が裏切ったとき、その男は命を奪われ、ウンディーヌは水に還らなければならない・・・

クリスティアン・ペッツォルトが、ギリシャ神話のモチーフを現代に置き換えて、大胆に描いた物語。

ベルリン、風の強い日の朝。ウンディーヌは、職場近くの中庭のカフェで、恋人ヨハネスから他の女性に心移りしたと別れを告げられる。「また休憩時間に戻ってくるから、愛してると言って」とその場を去る。ウンディーヌは、ベルリンの都市開発を研究する歴史家。博士号も取り、博物館で見学者にベルリンの街の成り立ちを解説している。
休憩時間になり急いでカフェに戻るが、ヨハネスはもういない。悲嘆にくれるウンディーヌ。後ろにあった水槽が突然割れる。先ほど博物館で解説を聞いていた潜水作業員のクリストフが彼女を助ける。運命的な出会いだった・・・

バッハの調べにのせて綴られるミステリアスな愛の物語。その行方も気になりましたが、もっと惹かれたのが、ベルリンの街の成り立ちのこと。ウンディーヌが博物館でベルリンの街の大きな模型を前に、「“ベルリン”は、スラブ語で“沼”や“沼の乾いた場所を意味します。沼地に建てられた人工的な都市です・・・」と解説する場面があります。 思えば、ベルリンの博物館の集まる場所は「博物館島」。川の中州にあるのですが、そもそも沼地だったのかと、もっともっと街の成り立ちを知りたくなりました。
公式サイトの監督インタビューの中に、下記のような言葉があって、ベルリンの街の成り立ちが、この物語を生み出した大きな原動力だったと知りました。


この映画を企画している頃、ベルリン市立博物館に展示されている素晴らしいベルリンの模型を見ました。ベルリンは辺り一帯を排水処理して整地し、沼地に建てられた都市です。そして、神話を持たない人工的で近代的な都市です。かつての貿易都市のように神話を輸入しました。同時に、ベルリンはそれ自身の歴史をどんどん消し去っている都市でもあります。ベルリンの特徴的な要素であった「壁」は、非常に短い期間で取り壊されました。フンボルトフォーラム(「ベルリン王宮」の外観を復元した新しい複合文化施設)もまた過去の略奪なのです。これらの破壊された過去、神話の残骸はウンディーネの物語の一部だと思います。
(公式サイトより引用)


また、本作でもう一つ注目したのが、モニカ役で出演しているマリアム・ザリー。1983年、イラン、テヘランの刑務所生まれ。両親が反体制派で、2歳の時にドイツに亡命。自らの生い立ちやイランの政治について描いた監督作品『Born in Evin』(2019年)が、ドイツ映画賞最優秀ドキュメンタリー賞を受賞。ぜひ観てみたいです。(咲)


第70回ベルリン国際映画祭 銀熊賞(最優秀女優賞)国際映画批評家連盟(FIPRESCI)賞 W受賞

2020年/ドイツ・フランス/ドイツ語/90分/アメリカンビスタ/5.1ch
日本語字幕:吉川美奈子
配給:彩プロ
(c)SCHRAMM FILM / LES FILMS DU LOSANGE / ZDF / ARTE / ARTE France Cinéma 2020
公式サイト:https://undine.ayapro.ne.jp/
★2021年3月26日(金)より、新宿武蔵野館、アップリンク吉祥寺ほか全国順次公開



posted by sakiko at 15:29| Comment(0) | ドイツ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

狼をさがして(原題:The East Asia Anti-Japan Armed Front)

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監督:キム・ミレ
撮影:パク・ホンヨル
音楽:パク・ヒョンユ
出演:太田昌国、大道寺ちはる、池田浩士、荒井まり子、荒井智子、浴田由紀子、内田雅敏、宇賀神寿一ほか

1974年8月30日、東京・丸の内の三菱重工本社ビルで時限爆弾が爆発した。8名の死者と約380名の負傷者が出たこの事件は日本社会を震撼させた。事件から1ヶ月後、犯人から声明文が出される。「東アジア反日武装戦線“狼”」と名乗るその組織は、この爆破を「日帝の侵略企業・植民者に対する攻撃である」と宣言。その後、別働隊「大地の牙」と「さそり」が現れ、翌年5月までの間に旧財閥系企業や大手ゼネコンを標的とした“連続企業爆破事件”が続いた。1975年5月19日、世間を騒がせた“東アジア反日武装戦線”一斉逮捕のニュースが大々的に報じられた。人々を何よりも驚かせたのは、彼らが、会社員としてごく普通に市民生活を送る20代半ばの若者たちだったという事実であった。凄惨な爆破事件ばかりが人々の記憶に残る一方で、実際に彼らが何を考え、何を変えようとしたのかは知られていない。
2000年代初頭、釜ヶ崎で日雇い労働者を撮影していた韓国のキム・ミレ監督が、一人の労働者から東アジア反日武装戦線の存在を知り、彼らの思想を辿るドキュメントを撮り始めた。出所したメンバーやその家族、彼らの支援者の証言を追うなかで、彼らの思想の根源が紐解かれていく。

日本の監督でなくて、なぜ韓国の女性監督がこのドキュメンタリーを?と不思議でした。赤軍派を扱った映像は観たことがありましたが、”狼”を詳しく知ったのは初めてです。大道寺将司をはじめとした「東アジア反日武装戦線」の若者たちが、なぜ過激な行動に走って行ったのか、キム・ミレ監督は彼らの足跡を追っていきます。爆弾を使ったテロは彼らの予想を越えて、通行人も巻き込んだ惨事となりました。
過激なテロ集団と報道されていましたが、関係者や支援する人々、刑期を終えた本人の言葉から見えてくるのは、少し違うものでした。虐げられた人々に目を向けられる、その辛苦や思いを想像できる若者たちだったのに、手段がいけなかったと思えるのです。
今、私が年を取ったから言えることで、当時もし近くにいたなら、支援して逮捕された荒井まり子さんは私だったかもしれません。
大道寺将司は釧路出身で、アイヌの人々から土地を奪い搾取した末裔であると言っています。同じく北海道出身ですが、こんなにはっきりと加害者意識は持ちませんでした。韓国や中国の労働者たちが劣悪な環境のもと苦役につき、多くが死んでいったことも知っていきます。ゆがみや本質に気づける人だったのでしょう。小説や映画などで表現したり訴えたりするのでなく、暴力での攻撃になってしまったことが残念です。書簡集や句集を獄中から発表しているので、読んでみるつもり。(白)


1974年~1975年、東アジア反日武装戦線が起こした連続企業爆破事件。この爆破事件が起こった時、「日本はアジアに対して何をしてきたのか。これらの企業は彼らを搾取していた」という彼らの主張はわかるけど、なぜ企業爆破という方法で?と思った。こんなやり方をしたら、彼らの主張に寄り添える人も引いてしまうと思った。そして、その思いというのは、ほとんど社会に伝わらないまま「連続企業爆破事件」という名前だけが残ってしまった。そして、最近では「強制連行はなかった」という人までいる。こんな社会になってしまった日本だからこそ、この映画が伝える意味は大きい。
キム・ミレ監督は1998年から労働運動や人権に焦点をあてたドキュメンタリー作品を撮り始めた。日本の日雇い労働者を描いた『土方』(2005)という作品でソウル人権映画祭人権映画賞を受賞している。2007年に韓国で起こったスーパーで働く女性労働者の占拠運動を撮った『外泊』(2009)は、山形国際ドキュメンタリー映画祭のアジア千波万波部門特別招待作品にも選出され、日本国内でも自主上映された。釜ヶ崎を撮影中に、この事件の関係者と出会い、『狼をさがして』を製作したという。そんな監督だからこそ、この事件の検証に意味がある。「反日」という言葉をやたらに使う人たちにこそ見てほしい。彼らは少なくとも「反日」ではない。なんでも「反日」という言い方で決めつけるのは、あの戦争の時代につながる(暁)。

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2009年 キム・ミレ監督 『外泊』上映会にて

2020年/韓国/カラー/74分
配給:太秦
(C)Gaam Pictures
http://eaajaf.com/
★2020年3月27日(土)ロードショー
posted by shiraishi at 01:53| Comment(0) | 韓国 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

きまじめ楽隊のぼんやり戦争

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監督・脚本・編集・絵:池田暁
撮影:池田直矢
音楽:かみむら周平
出演:前原滉(露木)、今野浩喜(藤間)、中島広稀(三戸)、清水尚弥(平一)、橋本マナミ(春子)、矢部太郎(仁科)、片桐はいり(城子)、嶋田久作(板橋)、きたろう(伊達)、竹中直人(大木)、石橋蓮司(夏目町長)

川を挟んだ津平町と太原町。二つの町は毎日「朝9時から夕方5時まで」規則正しく戦争をしている。いったいいつから、なんのために戦っているのか、もはや誰もわからない。川向うはとても怖いらしい、ということだけ囁かれている。露木は川岸に出勤し、昼はきまぐれおばさんの定食屋へ、夕方は物知りな総菜屋のおじさんの煮物を買って後は眠って明日に備える。突然音楽隊に異動になった露木は、トランペットを取り出して出動するが、どこにいけばいいのだろう?川岸に行ってみると向こうから音楽が聞こえてきた。

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不思議な映画を観てしまいました。台詞は棒読み、登場人物は戦争中のせいか表情に乏しく、喜怒哀楽を表に出しません。誰がいるのか見たこともない隣町との戦争を日課に、町民たちは日々生きていきます。戦う相手はただただ怖い悪いヤツ、我々と同じ人間だなどとつゆほども思ってはいけません。「なんで?」と叫ぶ人は誰もいません。すごくヘン、不条理なんですが、これは今の私たちのこと?と疑いがわくと限りなくそう思えます。
戦争に疑問を持たずに、粛々と上の言う通りに出動する町民、喋ったはしから記憶がなくなる町長。今もいますね。個性的な俳優陣が個性的な監督のもと繰り広げる、面白くてやがて悲しい物語。ご飯てんこ盛り(減らすこともあり)おばさんの食堂が好きです。
ぼんやりするのはやめましょう。チコちゃんに叱られる、んじゃなく考えないと命にかかわります。(白)


俳優たちが棒読み、無表情で毎日、決まったことを繰り返す。自分で考え、判断することをせず、それに疑問を感じない。初めこそ違和感があったものの、しばらくするうちに慣れてしまった。もしかしたら、私も彼らと同じように考えることを放棄してしまったのかもしれない。みんながこんな風になってしまったら、国のトップは何だってできてしまう。危険な方向に進んでしまう可能性だってある。これこそが監督が伝えたかった怖さなのではないだろうか。危ない、危ない。(堀)

対岸は悪者と信じ込んで毎日規則的に戦う人々の姿がとても奇妙で笑ってしまいますが、笑い事ではありません。かつて鬼畜米英といって日本国民を戦争に動員させたのをまず思い起こしてしまいました。そして、今も世界では、敵をしつらえて戦争に民を駆り立てる権力者は後をたちません。まずは知らない世界にいる相手を理解し、お互い、違いを認め合うことから始めなければ!
いざ出陣の時にNHKドラマ「阿修羅のごとく」でお馴染みになったトルコの軍楽「ジェッディン・デデン」が奏でられ、もの悲しく響きました。(咲)


毎日、毎日、9時~5時まで戦争に通う。戦場はどこなのか。戦争相手は川向うの町というけど、相手の姿は見えず。無意味な戦い?を続けている。なんの情報もないまま見始めたけど、最初は「何この映画」何を表しているの?何を言いたいの?と思ってしまった。途中から、この奇妙な映画のおかしさ、現代社会に対するおちょくり方、皮肉の表現に、思わず「見事」と思った。何の疑問も持たずにぼんやり毎日を送っていたら戦争になっていたということにならないように、皆さんいろいろなことに興味をもっていきましょう。癖のある俳優たちの起用と奇妙な行動。よけいおかしかった。でもそこまで行くまでが苦痛だった(笑)。途中で帰りたいと思ってしまった(暁)。

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2020年/日本/カラー/シネスコ/105分
配給:ビターズ・エンド
企画・製作:映像産業振興機構(VIPO) 
制作協力:東映東京撮影所 
共同事業幹事:カルチュア・エンタテインメント
(C)2020「きまじめ楽隊のぼんやり戦争」フィルムプロジェクト
http://www.bitters.co.jp/kimabon/
★2021年3月26日(金)よりテアトル新宿ほか全国順次ロードショー

posted by shiraishi at 00:02| Comment(0) | 日本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする