2019年05月25日

メモリーズ・オブ・サマー  原題:Wspomnienie lata

memory of summer.jpg

監督:アダム・グジンスキ
出演:マックス・ヤスチシェンプスキ,ウルシュラ・グラボフスカ,ロベルト・ビェンツキェビチ

1970年代末、ポーランドの田舎町。12歳のピョトレックは、夏休みを大好きな母ヴィシャと過ごしている。父は外国へ出稼ぎ中だ。やがて、母が昼間の仕事だけでなく、夜も毎日のようにおしゃれをして出かけるようになる。ピョトレックは置き去りにされて不満だ。昼間、暇を持て余して近くの湖に行き、年上の少年が率いる不良グループと親しくなる。一方、都会からやって来た少女マイカとも知り合い、ピョトレックは彼女に好意を抱くようになる。だが、マイカが不良少年と親しくしているのを目撃してしまう。相変わらず母が浮き浮きと出歩いている中、父が出稼ぎ先から帰ってくる・・・

12歳の夏の出来事。初恋、そして挫折、親との確執・・・ いろんなことがあって、少年は大人への一歩を踏み出します。
1970年代のポーランドという背景が、なんともノスタルジック。
虫の入った琥珀のお守りがいかにもポーランドらしいアイテムとして登場します。
人それぞれの大人への通過儀礼があるけれど、このピョトレックのケースは、ちょっと衝撃的? (咲)


美しい母、端正な顔立ちで、きちんと躾けられた息子。湖畔で戯れ、線路脇の道を電車と並び、自転車で駆け抜けるさまはまるで恋人同士のよう。幸せいっぱいのシーンだが、何となく不安感が拭い去れないのは、冒頭の衝撃的なシーンのせい。「この幸せは長く続かないはず」と物語に引き込まれてしまう。巧みな演出だ。
最初に変化を見せたのは母。夜の外出が増え、口紅が濃くなり、まとめ上げていた髪が解かれる。母が知らない誰かに女を見せるために出掛けていく姿を12歳の少年が受け入れるのは酷だ。時折、反抗的な態度を見せるようになる。そして、少年もかさぶたを剥がすような痛みを経験しながら、大人に近づいていく。
夏が終わり、秋を迎えたとき、少年は母から飛び立っていった。(堀)


アダム・グジンスキ監督インタビュー記事はこちらから。

2016年/ポーランド/83分/マグネタイズ/DCP
配給:マグネタイズ
公式サイト:http://memories-of-summer-movie.jp/
★2019年6月1日(土)より YEBISU GARDEN CINEMA / UPLINK吉祥寺ほか全国順次ロードショー
posted by sakiko at 19:41| Comment(0) | ポーランド | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

誰もがそれを知っている(原題:Todos lo saben)

everybodyknowsposter.jpg

監督・脚本:アスガー・ファルハディ
撮影:ホセ・ルイス・アルカイネ
音楽:ハビエル・リモン
出演:ハビエル・バルデム、ペネロペ・クルス、リカルド・ダリン 

アルゼンチンに暮らすラウラ(ペネロペ・クルス)が、妹の結婚式のため故郷スペインに帰省し、ワイン業を営む幼なじみのパコ(ハビエル・バルデム)や家族との再会を果たす。しかしその喜びもつかの間、結婚式の後に催されたパーティーのさなか、ラウラの娘イレーネが失踪。まもなく何者かから巨額の身代金を要求するメッセージが届き、ラウラは絶望のどん底に突き落とされる。パコは時間稼ぎに奔走し、ラウラの夫(リカルド・ダリン)もアルゼンチンから駆けつけるが、疑心暗鬼に陥った家族の内に長年隠されていた秘密が露わになっていく…。

スペインの小さな村で結婚祝いの最中、誘拐事件が起きた。主人公の悲痛な叫びに緊迫感が募る。身代金目当ての犯人の仕業か。それとも身内による狂言か。支えてくれる友人は元カレで以前は実家の小作人だった。土地を買い取り、今は対等なはずなのに、元地主の父の意識は変わらない。ありがちなことだろう。
悲劇も立場によって温度差がある。意識の違いが猜疑心を炙り出す。やがて明らかになる秘密。知らないのは本人だけというのは小さい村ならでは。ラストに理不尽さを感じるが、これが現実なのかもしれない。(堀)


公開を記念して、フリーライター高橋ユキと新潮社出版部長の中瀬ゆかりのトークイベントが行われた。詳細はこちらから。

昨年、カンヌ映画祭のオープニングでファルハディ監督のスペインで撮った映画が上映されると聞いて、世界に認められた巨匠になったと、ほんとに嬉しく思ったものです。日本でも公開されることと心待ちにしていました。そして、拝見してみたら、舞台はスペインの片田舎で、イラン人もイランのことも全く出てこないのに、まぎれもなくファルハディ監督の作品だと感じて、唸りました。

思えば、私がファルハディ監督にお会いしたのは、2009年9月。アジアフォーカス・福岡国際映画祭で、『彼女が消えた浜辺』が『アバウト・エリ』のタイトルで上映された時のことです。その折にインタビューさせていただいたのですが、読み返してみたら、「人間の本質はどこでも同じ」とありました。ファルハディ監督の映画作りの根底にあるのは、まさにそれだと思いました。

スペインを舞台にした物語の構想のきっかけは、15年前のスペインの旅のあちこちで見かけた行方不明の子どもたちの写真。最初に書いた短い物語をだんだん膨らませていったそうです。『ある過去の行方』を撮り終えた頃から本格的に本作の企画を始動。数年来懇意にしていたペネロペ・クルスとハビエル・バルデムのスター俳優夫妻を主人公にあて書きして脚本を執筆。二人にも相談したり、スペインを再訪したりして、何度も手を入れペルシア語で脚本を完成させ、その後スペイン語に翻訳。仕事仲間のイラン女性マスメ・ラヒジさんのお陰で、ペルシア語で感じたことをスペイン語で表現することができたと公式インタビューにありました。しっかりスペインの物語になっていながら、ファルハディ監督を感じることが出来たのも納得です。
『誰もがそれを知っている』も、これまでの作品同様、台詞の一言一言を聞き逃せません。それでも、もう一度観て、その言葉はそういう意味だったのだと確認したくなります。ファルハディ監督の仕掛けにしてやられました。(咲)


2018年/スペイン・フランス・イタリア/スペイン語/アメリカンビスタ/カラー/5.1ch/133分
配給:ロングライド  
© 2018 MEMENTO FILMS PRODUCTION - MORENA FILMS SL - LUCKY RED - FRANCE 3 CINÉMA - UNTITLED FILMS A.I.E
公式サイト:https://longride.jp/everybodyknows/
★2019年6月1日(土) Bunkamuraル・シネマ、ヒューマントラストシネマ有楽町ほか全国順次公開
posted by ほりきみき at 02:38| Comment(0) | スペイン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

イングランド・イズ・マイン モリッシー, はじまりの物語(原題:England Is Mine)

eim-movie.jpg

監督・脚本:マーク・ギル
出演:ジャック・ロウデン、ジェシカ・ブラウン・フィンドレイ、ジョディ・カマー

1976年マンチェスター。学校をドロップアウトしたスティーブン・モリッシー(ジャック・ロウデン)はライブに通っては批評を音楽紙に投稿するだけの毎日。仕事をサボって詩を書くことが唯一の慰めだった。そんな時、美大生のリンダー(ジェシカ・ブラウン・フィンドレイ)と出会い、後押しもあってバンドを組むことになる。
初ライブは成功、スティーブンはミュージシャンになろうと仕事を辞める。しかし順調に思えた彼を待ち受けたのは、別れや挫折だった。1982年、それでもあきらめずに音楽を続けるスティーブンの元に1人のギタリストが訪ねてくる。それは、のちに彼と「ザ・スミス」を結成するジョニー・マーだった。

1980年代に席巻したバンド「ザ・スミス」のモリッシーの若き日を描く。ザ・スミスを知らなくても、青春映画として楽しめるので大丈夫。
モリッシーは高校を中退し、せっかく手に入れた仕事もさぼり気味。音楽誌に辛口の批評を投稿するだけで、自分はなかなか一歩を踏み出さない。ダメダメぶり全開だが、イケメンなジャック・ロウデンが内気な感じで演じているからか、”守ってあげたい”と許せてしまう。94分の短尺で、モリッシーに惚れる女が3人も出てくるのはそのせいか。3人とも好きな男にきっかけをつかませようとせっせと後押しする。しかし、才能を信じる母の愛が息子を変える。親ってすごい。(堀)


2017年/イギリス/94分/カラー/シネスコ/PG-12
配給:パルコ
©2017 ESSOLDO LIMITED ALL RIGHTS RESERVED.
公式サイト:http://eim-movie.jp/
★2019年5月31日(金)よりシネクイントほか全国ロードショー

posted by ほりきみき at 02:21| Comment(0) | イギリス | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

長いお別れ 

longgoodbyepos.jpg

監督:中野量太 
脚本:中野量太 大野敏哉 
原作:中島京子『長いお別れ』(文春文庫刊)
主題歌:優河「めぐる」
出演:蒼井優、竹内結子、松原智恵子、山﨑努、北村有起哉、中村倫也、杉田雷麟、蒲田優惟人

父・昇平(山﨑努)の70歳の誕生日。母・曜子(松原智恵子)から連絡があり、近くに住む次女・芙美(蒼井優)だけでなく、夫のアメリカ赴任に同行していた長女・麻里(竹内結子)も久しぶりに帰省する。そこで母から告げられたのは、厳格な父が認知症になったという事実だった。それぞれの人生の岐路に立たされている姉妹は、思いもよらない出来事の連続に驚きながらも、変わらない父の愛情に気付く。ゆっくり記憶を失っていく父との7年間の末に、家族が選んだ新しい未来とは。

少しずつ進行していく父・昇平の認知症。その変化があまりにも自然で、作品を見ているときには気が付かないのだが、見終わってから振り返ると、その変貌ぶりに驚く。昇平を演じた山崎努はオファーされる前に原作を読み、「映画化されるとしたら、昇平役は自分のところにオファーが来るのではないか」と予感していたという。
変わっていくのは父だけではない。介護をする家族もまた変わっていく。父に似て杓子定規で頑固なところのあった次女・芙美が自分の満足感に合わせるのではなく、相手の気持ちを考えた対応ができるようになる。また、夫婦関係に悩んでいた長女は、父が認知症になっても変わらぬ愛情を注ぎ続ける母の姿を見て、自らも夫と向き合う。
認知症の家族と暮らすことはけっして簡単なことではない。作品で描かれる生活がきれいごと過ぎるように見える人もいるだろう。しかし、大変だからこそ、些細なことに幸せを感じられるのかもしれない。目の前にいる妻のことが分からなくても、愛は残っていることを象徴するシーンには思わず涙がこぼれた。あ~結婚っていいかも!!
孫役の杉田雷麟は『そらのレストラン』では純朴な少年で逃げたブタを追いかけていたが、『半世界』では稲垣吾郎の息子役でちょっぴり反抗期を迎えていた。そして、本作では髪を金髪にして、母親に対してゴリゴリに反抗中。でも、内心は家族のことを思いやる。役と共に成長しているのを感じた。
そして、何と言っても松原智恵子! いくつになってもこのチャーミングさを保っているのは奇跡としか言いようがない!!(堀)


認知症予備軍の「団塊の世代」が高齢者になった。普段お家にいる方々が一斉に外出されるのが選挙のとき。手に入れた選挙権はちゃんと行使する真面目な世代なのだ。心身が衰えていくのに気が付くのはまず自分自身、できていたことができなくなってくる。こんなはずじゃなかった、と自分の老いを自覚するのは辛い。敬愛していた親の老いに気づく子どもたちもなかなか納得できない。
介護はその家の人間関係や病状によってみな違う。自分も体験して言えるのは、介護する人、される人が幸せであることが一番。「この人のせいで」と思い始めたら不幸が増幅して、連鎖していってしまう。たくさんの手を借りることで、それはかなり改善される。おみこしの担ぎ手は多いほうがいいのだ。与えるばかりでなく、与えられたことも同じくらい多かったと終わってみればよくわかる。
この映画では負の側面は描かれない。家族が父のことを一番に思いやっているからだ。そんな理想的な家族ばかりではないけれど、辛いときに辛い話が観たいだろうか。こういう風にもなれるのだ、と思えるのがいい。(白)


2019年/日本/カラー/127分
配給:アスミック・エース
©2019『長いお別れ』製作委員会 ©中島京子/文藝春秋
公式サイト:http://nagaiowakare.asmik-ace.co.jp/
★2019年5月31日(金)ロードショー
posted by ほりきみき at 01:58| Comment(0) | 日本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ずぶぬれて犬ころ 

zubunure_poster.jpg

監督・プロデューサー:本田孝義
撮影:鈴木昭彦
音楽:池永正二
出演:木口健太、森安奏太、仁科貴、八木景子、原田夏帆、田中美里(特別出演)

2017年、中学校でいじめを受けている小堀明彦は掃除用具ロッカーに閉じ込められていたところを教頭の諸岡に助けられる。そして、諸岡から教室に落ちていた張り紙「予定は決定ではなく未定である」を書いた住宅春美についての話を聞いた。
高校に進学しなかった住宅春美は食堂で働いていたが、得度して「顕信」という法名になり「無量寿庵」という仏間を作った。しかし、22歳のときに急性骨髄性白血病を発症。家族の献身的な介護に支えられながら、句作に没頭していくものの病状が悪化し、句集「未完成」の原稿を握り締めながら1987年、25歳の若さで亡くなるのだった。
小堀は、諸岡から借りた住宅顕信の句集「未完成」を読み始め、住宅の句と生き方に感銘を受け少しずつ変わっていった。

俳句といったら、5・7・5と思っていたのだが、住宅顕信(すみたく けんしん)が詠んだ句は字数にとらわれない。自由律俳句というそうだ。顕信が生涯に残した俳句は僅か281句だが、日常をテーマにした俳句と生き様が注目を浴びている。
本作はいじめを受けていた中学生が顕信の俳句に出会い、いじめに負けない勇気を得るまでを描くが、その合間に顕信の生涯と俳句が挟み込まれる。この俳句の1つ1つが見事なくらい中学生の気持ちに寄り添い、中学生と顕信の心がリンクする。もしかすると顕信の句集を読む以上に、映画は俳句に込められた顕信の思いを伝えているのかもしれない。
気持ちが疲れているときにこの作品を見ると、自分も顕信にリンクして、心が癒されるような気がする。(堀)


2018年/日本/DCP/100分
配給:パンドラ
(C) 戸山創作所
公式サイト:http://zubuinu.com/
★2019年6月1日(土)〜ユーロスペースにてロードショー、以下全国順次公開

posted by ほりきみき at 01:51| Comment(0) | 日本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

二宮金次郎

ninomiyakinjirou.jpg
 
監督:五十嵐匠
脚本:柏田道夫      
原作:「二宮金次郎の一生」(三戸岡道夫栄光出版社刊)
音楽:寺嶋民哉      
出演:合田雅吏、田中美里、成田浬、榎木孝明(特別出演)、柳沢慎吾、田中泯

二宮金次郎は幼い頃に、両親を亡くし、兄弟とも離れ離れになった。青年になった金次郎(合田雅吏)は、文政元年(1818年)、小田原藩主・大久保忠真(榎木孝明)に桜町領(現・栃木県真岡市)の復興を任される。金次郎は妻・なみ(田中美里)とともに桜町領に赴き、”仕法”と呼ぶ独自のやり方で村を復興させようとした。一部の百姓達は金次郎が思いついた新しいやり方を理解するが、五平(柳沢慎吾)ら保守的な百姓達の反発に遭う。そんな中、小田原藩から新たに派遣された侍・豊田正作(成田浬)は百姓上がりの金次郎が藩主に重宝されていること不満を感じ、次々と邪魔をし始める。はたして、金次郎は、桜町領を復興に導けるのか。

薪を背負って本を読みながら歩く少年。小学校にあった銅像の人物が何をしたかを知る。一家離散した貧農から帯刀を許される身に。それでも土を大事にする気持ちは忘れない。身の程をわきまえた生活をし、倹約から蓄財を。堅物すぎる主人公を柔軟な対応をする妻が支える。生涯に600ヶ所以上の町村の財政再建を成功させ、多くの農民たちを救い、藩の財政立て直しに貢献。死後は神様にあがめられた。その姿勢は現代の経営者にも気がある。57歳で二宮尊徳と名を改めたので、そちらの名前で語られることが多いかもしれない。あのドラッカーも晩年に尊徳の文献を集めたという。身のほどのわきまえた生活をするという分度、小さなことから行うという積小為大(せきしょういだい)、敵も味方も1つの円の中に入れて見るという一円融合など尊徳の考え方はトップだけでなく、私たちの生活にも参考になりそうだ。
初めは敵対していた小作人の五平を演じた柳沢慎吾が役者として渋い魅力を発しているのに驚いた。(堀)


薪を背負って本を読みながら歩く姿が、歩きスマホに見えると揶揄される今日この頃ですが、二宮金次郎さんといえば、勤勉の象徴。家が貧しくて、子どもの頃に苦労した話は覚えていても、実際、どんな功績を残した方なのかすっかり忘れていました。
小田原藩主から桜町領の復興を任された時に、自分の家を処分してまで資金を作り赴きますが、”仕法”という独自のやり方は、地元の人になかなか理解してもらえません。「他人を信じるな。自分を信じろ」という母の遺言でしたが、「信じられる人がいて、思いは成し遂げられる」と金次郎は思うのです。人を信じてこそ、和が保て、事がスムーズに運ぶことを教えてくれます。
五十嵐匠監督は、これまでにも日本の近代史の中で静かに光る人物を描いてきましたが、また一人、その系譜に加わりました。『HAZAN』『アダン』『半次郎』でタッグを組んだ榎木孝明さんが、小田原藩主・大久保忠真役で出演しているのが嬉しくて、思わず観にいった一作です。(咲)


2019年/日本 /カラー/ アメリカンビスタ/ 5.1ch/113分
配給:株式会社映画二宮金次郎製作委員会
(C) 映画「二宮金次郎」製作委員会
公式サイト:https://ninomiyakinjirou.com/
★2019年6月1日(土)~6月28日(金)東京都写真美術館ホールにて公開ほか全国順次

東京都写真美術館ホール 上映スケジュール
火・水・日 10:30〜、14:00〜
木・金・土(22日(土)を除く) 10:30〜、14:00〜、18:30〜
休館日:月曜日及び6月22日(土)




posted by ほりきみき at 01:48| Comment(0) | 日本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

アナと世界の終わり(原題:Anna and the Apocalypse)

anaseka.jpg

監督:ジョン・マクフェール
出演:エラ・ハント、マルコム・カミングス

高校生のアナは幼い頃に母を亡くし、父トニーと2人で暮らし。パッとしない生活から抜け出すため、大学に進学せずに世界を旅することを計画する。チケット代を稼ぐため、父に内緒で幼馴染のジョンと一緒にバイトに励んでいた
しかし、父に旅行の計画がバレてしまい、大ゲンカに。翌朝、気持ちを切り替えたアナはジョンと一緒にいつも通り学校へ向かう。その途中、スノーマンの着ぐるみを着た血だらけの男が突如現れ、ジョンに襲いかかる。その瞬間、アナは公園にあったシーソーを使って男の頭を吹き飛ばす!なんと、男の正体はゾンビだった。2人は、学校に取り残された父とクラスメイトを救出に向かう。 果たして、アナはみんなを助け出し、この町を脱出することはできるのか。そして、腐ったように生きてきたこの人生にケリをつけることができるのか。

高校生の巣立ちをテーマにしたゾンビ映画をミュージカル仕立てに。学食でテーブルの上に乗ってみんなが踊るお決まりのシーンは青春映画そのもの。歌って踊りながら登校する主人公の後ろにゾンビが蠢いているシーンは怖さよりギャップに笑ってしまいそう。
高校時代は何かと窮屈に感じるもの。2人きりの家族だからこそ、父は娘の将来を心配し、自宅から通える大学への進学を願う。それが娘には窮屈で、逃げるためだけにやりたいこともないまま世界を旅したいと考える。そんなイライラも手伝って、クラスメイトたちが夢中になっていることをくだらないと思ってしまう。
ゾンビから生き抜くことで今、生きる時間の大切さに気づいていく主人公の未来に明るい希望がありますように。(堀)


『カメラを止めるな!』の大ヒットで、日本のゾンビも息を吹き返した今日この頃(?)、イギリスからあんまり怖くないゾンビ映画がやってきました。予告編でほぼ全貌が見えるのですが、笑える小ネタが仕込まれた青春ミュージカルゾンビ映画。
ゾンビ映画のお約束・・・動作はゆっくり、噛まれると感染、大事な人がゾンビになる、対処は頭を吹き飛ばす・・・はきちんと踏襲しています。
青春映画のお約束・・・親との軋轢、ここでないどこかへ、幼なじみ、ゲスな彼氏、男前な女の子もちゃんと出てきます。わーわーとたくさんの友達と一緒に見るとより楽しいです。イギリスの田舎町でも日本でも、人の思うことにそう変わりはありません。(白)


2017年/イギリス/カラー/PG-12/98分
配給:ポニーキャニオン
(C) 2017 ANNA AND THE APOCALYPSE LTD.
公式サイト:http://anaseka-movie.jp/
★2019年5月31日(金)より新宿武蔵野館ほか全国ロードショー
posted by ほりきみき at 01:37| Comment(0) | イギリス | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする